詩人メーリケのお墓のことから

シュヴァーベン地方が生んだ歴史的な文学者に数えられるメーリケ。牧師であり、詩人であり、小説も書いた。ドイツリートにはヴォルフのメーリケ歌曲集もさることながら、それよりも先の時代、例えばシューマンにもメーリケの詩による名作が点在する。

次回のリサイタルのプログラムに、この詩人にこだわったわけではなくて、詩の内容、曲の性質から組み入れることにした1曲が、この詩人の詩によるもので、改めて詩人メーリケについて思い巡らせ、資料を読んだりしていて気がついたことには、彼の墓所のある場所を私は留学中、音大とアパートとの往復の路面電車でいつも通っていた、ということだ。

そういえばリートのクラスの先生も、彼の墓はシュトゥットガルトのその墓地にあることを時々、レッスンで話題にしていたような記憶も蘇ってくる。その墓所はPragfriedhofというシュトゥットガルトの中央駅から15番の路面電車で1駅目の所だ。女性の声による車内アナウンスのイントネーションでも私の記憶に刻まれている。

この歴史ある古い墓地の近くにはユダヤ人街のようなところもあって、この墓地にもイスラエル人用の区画もあることを今回、ドイツ語のネットの情報を見ていて再認識した。路面電車がそのあたりを通ると、他では目にしない細かいレンガ造りの外壁を持つ建物がたち並び、異国風な景色となり、エキゾティックな感じで、乗り降りする人の雰囲気からも外国人の地区であることは明らかだった。一方、この墓地の一般の区画のほうには、宗教を問わない、と説明書きがある。芸大時代、それも学生ではなく勤めていた時になってようやく時々、自ら通るようになった谷中霊園も宗教を問わない墓地であるのと一緒だ、と思ったりする。(寛永寺墓地は別)。

メーリケの墓所はこの停留所至近の入り口から入ってほどない所にあることがわかる。つぎにシュトゥットガルトに行くことがあったら是非、訪れてみたい、という気持ちにようやくなっている。

ようやく、というのも、お墓を訪れる、というのは、たとえば音楽の都ウィーンで、楽聖たちのお墓が一堂に会するような場合とか、ベートーヴェンの生地で、ベートーヴェンの母の墓もある墓地内のシューマンのお墓とか、音楽家ゆかりの土地で観光名所になっているような、いわば明るいイメージのところは行きやすいけれども、留学して住んだ街で、毎日通る、暗いイメージの古い墓地となると、身近にありすぎて、お墓、というものがリアルに感じられすぎて、若い(今から思えば・笑・)学生時分には、上野谷中でもドイツでも、私にはそう積極的に行きたいとは思えない感じだった。

ちなみにメーリケが生まれたのは、以前にこのブログにも紹介しているが、シュトゥットガルト郊外のルートヴィヒスブルクというお城のある街で、そこにはクリスマス市もあり、留学当初、雪景色の中訪れた思い出がある。そのときは生地を訪れただけで、とてもはしゃいだ気分だったので、お墓のほうには気持ちが向かなかったのも仕方のないことだったかもしれない。

墓所Pagfriedhofには考えてみたら他にも思い出があった。留学当初、参加したバッハアカデミーの講習会で、アルトのソリストのクラスに選ばれ、バッハ週間で次々と街の教会を巡って交代で歌わせてもらった中に、このPragfriedhofの近くの聖ゲオルグ教会St. Georg Kircheがあったのだ。今、久しぶりにシュトゥットガルトの街の地図を広げていて気がついた。コンサートが終わって、指揮、解説の当日のトーマスカントル様やバッハアカデミーの有名なRさんと記念撮影もして頂いて、聴いて下さっていた見知らぬドイツのお客様達からも温かくお声をかけて頂いて、すっかり幸せな気分で家路につくときは一人になり、先の駅とは直角に交わる別な通りを通る同じ墓所沿いの地上U-Bahnの停留所で電車が来るのを待っていたときの夜の景色、空気の温度感などが今でも肌に触れるように思い出される。

旅でも演奏会でも多分飲み会その他の会合でも、終わって最後に家に帰るときは一人、というのがさびしがりやの私にすると、いつも何かとてもせつない気持ちになる。そもそも人生とはそういうものなのだろうか。これは一人で住んでいた留学中だけではなくて、誰かしら同居の家族がいる日本でもよく感じる感覚だ・・・。