クラシック音楽のこと
今年は今日9月24日(月・祝)が中秋の名月とのこと。雲が多めの今日はこんな写真が撮れそうな気がしてソワソワと何度も玄関の扉を開けて外に出て空を見上げていました。 そして、この雲間に現れた光明の世界!今、歌っているフォーレの<夢のあとにAprès un r…
シュヴァーベン地方が生んだ歴史的な文学者に数えられるメーリケ。牧師であり、詩人であり、小説も書いた。ドイツリートにはヴォルフのメーリケ歌曲集もさることながら、それよりも先の時代、例えばシューマンにもメーリケの詩による名作が点在する。 次回の…
次回リサイタルのプログラムをシューマン、フォーレ、シューベルトの歌曲で組もうと思い、選曲がほぼ整ってきたところ。選曲の過程で候補曲を挙げながら、各曲の詩人についてもどんな人だったのだろう、と知りたくなるのも常なることです。 昨日はフォーレ(…
私が留学していたシュトゥットガルトには、ドンピシャリこの街が出身、という歴史的作曲家はいなかったと思うが、それでも時に作曲家の人生の節目にこの街の名が記録されていることがある。 1864年、借金から逃れる旅の途上でシュトゥットガルトに滞在してい…
カントループの≪オーヴェルニュの歌≫という曲集がある。南仏オーベルニュ地方の民謡にカントループがオーケストレーションをしたもので、のどかな風景が彷彿とされるような美しい民謡の旋律に癒やされるような曲集だ。 学生時代にイタリア人の先生の門下生に…
5月のリサイタルに向けて、準備を進める日々。目下、暗譜の山。何となく覚えているようなものも、やはり意識的な暗記のような作業も必要になり、たまには複雑な構成を整理して覚えるのに、部分部分に記号をつけていくうちに、数式のようなメモを欄外に書くこ…
リサイタルに向けて、取り上げる作曲家について事典項目を眺めたりする日々。今年没後100年でもあるマックス・レーガーの項目を読んでいると・・・酒飲みグセがあり、それが本人の生前の評価をおとしとか、そんなこともうっすらと書かれていました。真偽のほ…
スイスのシルス湖畔にニーチェの詩が刻まれた石碑の埋め込まれた岩があり、訪れたことがある。ワイマールでのマスタークラスに参加して演奏会も終えた後、ちょうどスイスでバカンス中の、ドイツ留学中お世話になったドイツ人のおばさまを訪ねて、スイスまで…
知らない人はいないほど、日本でも定着しているシューベルトの「ます」。オリジナルのドイツ語詩による歌曲はもちろんのこと、器楽の五重奏曲でもすっかり有名だ。ところで、この歌詞となっている詩を書いたのはシューバルト。ミスプリではなくて、本当にシ…
サン=サーンスのオペラ『サムソンとダリラ』には、誰でも知っているようなお馴染みのメロディーがある。ダリラのアリア「あなたの声に私の心は開く」である。音楽家ではない日本のご年配の方でも、この曲は、トマのオペラ『ミニョン』の「君よ知るや南の国(…
先日、とあるコンサートで、ベートーヴェンの交響曲第8番を聴く機会があった。その 曲目解説に、この曲はベートーヴェンが夏の避暑地テプリッツに滞在した1812年7月から本格的に作曲が開始され、10月にリンツで完成された、とある。この夏のテープリッツで…
6月11日はリヒャルト・シュトラウスの誕生日でした。毎年、何がしかのそんな誕生日情報に改めて気がつくのが常ですが、今年は、6月12日のリサイタルのプログラム最終ブロックを固めていたのは、リヒャルト・シュトラウスの歌曲でした。その前日11日…
今日、2013年5月22日は、リヒャルト・ワーグナーの生誕200年にあたる誕生日です!先日、9日の薔薇の写真ですが、お祝いに掲載します。10輪の花が咲きそろった最盛期のものです。お見事でした。 ワーグナーはライプツィヒに生まれました。古くはあのバッハが…
私のワルキューレ・ローズ、このように咲きそろって来ました。昨日は、この薔薇さんにリサイタルの全プログラムを窓越しに聞いていただきました!もちろんワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集も入っています。
「ヴェニスに死す」とは、トーマス・マンの小説(1912年)であるが、今年、生誕200年を迎えるワーグナーもヴェニスで客死した人物である。先の小説の内容は、ワーグナーとはまったく関係がないが、トーマス・マンも、この大作曲家、一時代を築いた芸術家が、…
そうして忘れてはならないのが、このプレートの着いた赤い家だ。ここはロベルトシューマンが1838年10月から1839年4月までウィーンで住んだ家。結婚前にクラーラが演奏会でウィーンに来て賞賛を得たのが1838年のこと、クラーラはシューマンがウィーンで雑誌…
昨年の3月だったか、航空便の白い封筒が日本の私の手元に届いた。差出人はウィーン・フィルハーモニー。受け取るのは初めてだ。何だろう、と開けてみれば、1月にウィーン・フィルのホームページから申し込んだチケットの請求書だ。毎年、申し込んでも、メー…
4月のリサイタルでプログラムに取り上げて演奏させていただいたハイドン作曲のソロカンタータ「ナクソス島のアリアンナ」は、リヒャルト・シュトラウスの同名のオペラ(ドイツ語なので、アリアンナはアリアドネとなる)で一番有名かもしれないが、今日、もう…
イタリア古典歌曲集で、ふと気がつけば、同じ姓の作曲家がいることに気づく。ボノンチーニだ。一人は"Deh, piu a me non v'ascondete"を作曲したGiovanni Maria Bononcini (1642-1678)、もうひとりはその息子で、"Per la gloria d'adorarvi"で有名なGiovanni…
ライプツィヒのゲヴァントハウスから日本に遣わされてきた音楽の天使(ふつうおじさんには使わないけれど・・・)とでもいったらよいだろうか、ドイツの音楽の伝統を一身に浴びながら音楽生活を送って来られたボッセ氏が、ゲヴァントハウス定年後は縁あって…
やっぱりバラ、綺麗だなあ・・・後ろの蕾からもかすかに薄オレンジ色の花の兆しが見えています。 バラにぞっこん、ということで思い出すのは、有名なシューベルトの「野薔薇」。 この曲はゲーテの詩に作曲されたもので、内容は少年と、バラに喩えられた少女…
先日、上野の芸大のイタリア人G先生の最終講義を聞きに行った。学生時代にイタリア語会話の授業などでお世話になった先生だ。この先生が、カミッロ・シーヴォリというイタリア、ジェノヴァ生まれの作曲家でヴァイオリニストのことを研究しておられたことは、…
故園田高弘さんの2枚のCDを先日来、聴いていた。「若き日の軌跡」と題されたこの2枚のCDには、華麗なピアノ曲ばかりの録音が収まっている。Ⅰには、ラフマニノフ<ピアノ協奏曲第3番ニ短調>作品30、ストラヴィンスキー<4つの練習曲>作品7、グラズノ…
かつて私が心理学を専攻していた頃―といってもその頃、私の側に音楽がなかったわけではない。音楽は物心ついたときから常にいろいろな形で私と共にあった―、心理学や周辺の分野でしきりに「f分の1揺らぎ」というのが話題になり、いわば流行であった。ある学…
写真は武蔵野音大構内のベートーヴェンホール入り口前の屋外にあるベートーヴェン像。目を大きく見開いている随分と太面(?!)のベートーヴェンのご尊顔を拝することができる。 今日はこのベートーヴェンホールでの演奏会を聴かせていただく機を得て、あり…
写真正面の左側に見えている窓の多い家がレーヴェハウスです。中には展示室があります。(この家は現在、公開に向けて修復中です。)その背後に見える塔と赤い屋根はレーヴェの時代からあった教会です。この教会の塔にレーヴェは子供の頃、登って、住んで、遊…
今日の薔薇。見事に咲いている。これも夕方の撮影。綺麗なオレンジ色。 朝から音楽高校の卒業演奏を聞いて帰宅。副科声楽を教えて知っている生徒たちが数名出演していた。今日は弦楽器の日だった。この薔薇はみんなの卒業へのお祝いのお花なのかもしれない。…
小説家ジャン・パウルの名前を私は、ずっと以前、シューマンの生涯について調べたりしていたときに知った。図書館で日本語訳を借りて読んでみたこともあった。不思議な支離滅裂な世界である。そう、ジャン・パウル(Jean Paul)はドイツ・ロマン派文学を代表す…
昨年2010年11月14日、ライプツィヒのゲヴァントハウスのメンデルスゾーンホールにて、11月17日生まれの大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ生誕300年を祝う室内楽演奏会を聴いた。18時開演。 大バッハの息子は末息子のカール・フィリップ・エ…
ブクステフーデの受難曲「われらがイエスの四肢」のヴォーカルスコアを私は2冊持っている。その経緯は前に書いた。シュトゥットガルト(厳密にはその郊外で飛行場のあるエヒターディンゲン)のカールス社版とベルリンのメルセブルガー社版である。 ぱっと見…