パガニーニの愛弟子シーヴォリ

先日、上野の芸大のイタリア人G先生の最終講義を聞きに行った。学生時代にイタリア語会話の授業などでお世話になった先生だ。この先生が、カミッロ・シーヴォリというイタリア、ジェノヴァ生まれの作曲家でヴァイオリニストのことを研究しておられたことは、この最終講義のチラシで初めて知った。シーヴォリのご子孫に知り合われたことがきっかけだったそうだ。イタリア語を習っていた頃はそんなお話を伺う機会はなかった。この最終講義は、シーヴォリを日本に紹介する機会として活用されたいとのこと、最初に先生のお話があって、弦楽の学生らにより彼の作品が演奏された。ヴァイオリンの技巧と魅力が満載された目を見張るようなLa Genoiseという作品が特に印象に残った。
 
さて、この講義で拝聴した内容と当日のプログラム冊子の情報によると、シーヴォリ(1815-1894)は、あのパガニーニが唯一弟子とした天才ヴァイオリニストであり、作曲家であった。ロッシーニの遺体のパリからフィレンツェへの移送の儀式でヴァイオリンを演奏したのもシーヴォリであった。これも私にはとても興味深い。そして、1815年生まれといえば、1810年生まれのシューマンと同時代人である。
 
今日、たまたま、今度の演奏会で取り上げるリストが、シューマン夫妻の家でリハーサルをして、ライプツィヒのゲヴァントハウスに出演していたことなどを確かめたくて、シューマンの日記(家計簿)をひっぱりだして、眺めていると、"Sivori"という文字が目に留まった。あの、カミッロ・シーヴォリの登場である!それは1841年10月3日、「夕べに第一回演奏会」と書かれているところだ。註を見ると、これはこのシーズンのライプツィヒゲヴァントハウス定期演奏会の第一回演奏会で、シーヴォリは自作のヴァイオリン協奏曲の第一楽章を自ら演奏していた。他の曲目は、当時の演奏会の例にもれず、混ぜご飯状態だ。つまり、メンデルスゾーンの序曲、モーツァルトのアリア、ウェーバークラリネット曲、ドニゼッティのアリア(歌手はいずれもElisa Meerti)、そしてシーヴォリのヴァイオリン協奏曲、最後にベートーヴェン交響曲第4番というプログラムである。
 
シーヴォリはその頃、広くヨーロッパ中で演奏旅行を繰り広げていた。考えてみれば、リストのヴィルトゥオーゾとしての華々しい演奏活動の時期とも重なっている。もちろんクラーラ・シューマンも。あの時代、大変な人たちが活躍していたものだ・・・。
 
シューマンがほぼ毎日つけていた家計簿を兼ねたメモ日記と、とりわけ巻末の詳細の註により、その頃の音楽事情が、まるで今日のことであるかのように、手に取るように伝わってくるのもまた、感動的なことである。
 
人類は果たしてこれからどのくらいの時間、こういう風に文化を刻んでいくことができるのだろうか。昨年の3.11以来、ふと、今の私たちの生活、はたまた人類の存在そのものさえ、決して永遠を約束されたものではない、ということが頭をよぎるようになった。