ドイツのパンは芸術だ

ドイツで驚いたことの一つに、パン屋さんが多いことがある。長期留学以前に、夏休みを利用して初めてドイツの地を踏み、シューマンの故郷ツヴィカウを訪ねたときのこと。旧東独であったために、あまり近代化が進まなかったことが功を奏して、昔ながらのたたずまいの残る旧市街地を歩いていても、なぜかパン屋さんだけはそこここに出没する。そして焼きたてのおいしそうなパンやら、甘い焼き菓子が売られている。いつでも焼きたてのパンがおいしく味わえるのだ。もちろん、最近では日本だってどこの駅にもそばにパン屋があるような風情になってきたが、そのパンの質が問題だ。本当においしい、素朴な手作り感覚の味は、お米の文化の日本には残念ながら未だ、そう多くはない。
 
そんな中、最近、現在の住まいの近所においしいフランス系のパンを焼いて売っているお店が出来た。今まで別の土地でお店を開いていて、雑誌にも紹介されるほどの人気店だったそうだが、このほどこちらのほうて移転していらしたとのこと。早速、バケットを購入、夕食が華やいだ。これはフランス風のパンだけれども、いずれにしても、手作りの味は本当においしい。
 
ドイツで学校帰りに、パン屋の前を通ると、夕方の客向けに焼きたてのパンが勢ぞろいした店内から通りにまでよい香りが漂っていて、そういうときは、足が自然とお店に入ってしまい、同じようにドイツだけれどフランス風のバケットを一本買って、暖かいのを抱えて帰って、ほおばったりしたものだ。これとチーズのおかげで、すっかり顔がまあるくなった(つまり太った?!)時期もあった(笑)。そんなときの思い出がこのほどのご近所のパン屋さんで買ってきたバケットでの家族と一緒の食卓で、よみがえってきた。
 
ところで、ドイツのパンもこれまたおいしいもので、私は芸術だと思っている。黒パンが有名だが、その見るからにクロっぽい、麦の実がゴロゴロはいったままのようなフォルコルン・ブロート(Vollkornbrot;全粒粉パン)は、ずっしりと重く、薄くスライスしてバターをたっぷり塗って食べるとおいしい。酸味もある。また、ロッゲン・ブロート(Roggenbrot;ライ麦パン)という種類になると、黒くはなく、真っ白ではないが、薄いグレーのような色がついていて、やはりスライスしてバターを塗って食べる。さらに、ライ麦と小麦を混ぜて作ったロッゲンミッシュブロート(Roggenmischbrot)というのがあり、これは酸味も少なく、マイルドで食べやすく、私は最終的にこれが一番のお気に入りになってよく食べていた。「ライ麦畑でつかまえて」という小説名では聞いたことのあったライ麦も、味わって、これがライ麦か、と実感したのは、ドイツでそれを食べたときが初めてだったかもしれない。
 
この種のパンはとにかく大きく焼いて丸ごと売っている。これを買うときに「切りますか?」と聞かれる。「はい」と返事をすると、台の上に乗せて、上から10枚くらいの刃がざるのようにまとめて降りてきて、その大きなパンを一瞬でスライスの集合体にしてくれる。外観は殆ど変わらないで、丸のまま袋に入れてくれる。これは綺麗に切れてよいが、一度切ってしまうと、切った面が乾燥してしまうので、少し残念でもある。それがために、切らないまま持ち帰って、まな板の上で包丁でスライスを試みたこともあるが、そうすると、曲がってしまったり、段々がついてしまったり、あるいは、つい分厚く切ってしまって、結果、顔がまるくなったり・・・とまあ、パンにまつわる思い出も尽きない。そう、ドイツのシステムキッチンには、引き出しを開けると、このパンをスライスするあのざるのような刃の羅列が収納されていて、それを台の上に反転させて出して、パンを台にのせると、パン屋さんと同じようにスライスできるような、そんな器具を備えたものがあることを、大家さん一家のお台所を覗かせていただいたとき知った。
 
ドイツのパンが芸術だと思う心は、日本の洋菓子や菓子パンのような飾り気はないが、質実剛健、大地の恵みをあれだけ種類の豊富な形に仕立てて味わう、というその精神にある。モーンと呼ばれるケシの実で、黒ゴマの小さいような粒々が振掛けてあるようなパンもあったし、前にも書いたツヴィチュゲンというスモモが季節になるとタルトのような生地の上にのせられて焼かれた素朴なケーキもパン屋に並ぶ。季節、生活に密着した感性がそこにはある。このような「心」はドイツリートとも決して無縁ではない。