クラシック音楽のこと

明治学院チャペル再び

明治学院チャペルでの演奏会への出演は私には一昨年のメサイア以来、2回目でした。今回のブクステフーデ「われらがイエスの四肢」はヘンデルの「メサイア」とはガラッと雰囲気の違う、とてもユニークなもので、古楽器と5人の声楽ソロ、合唱という編成で、ア…

ブクステフーデの魅力

来週、ブクステフーデの受難曲「我らがイエスの四肢 Membra Jesu Nostri」の演奏会が白金台の明治学院チャペルであります。昨年11月にドイツにいたとき、メールで出演依頼の打診があり、ベルリンのインターネットカフェから即、お返事をして、翌日にはベルリ…

シューマン「ゲノフェーファ」論

昨年の3月、ボンでのシューマン生誕200年記念のリサイタルの翌日、自由時間があった。ボンのアデナウアー大通りに面したエルンスト・モーリッツ・アルント・ハウス(写真)を会場にして開催されていた、ボン市立博物館のシューマン生誕200年記念の展示「ロベ…

ベートーヴェン第九初演とブラームス

5月7日はまず、ブラームスの誕生日だということは、「ブラームスの誕生日に」というタイトルでリサイタルをしたことのある私はもちろん忘れない。ところで、この5月7日には他にもクラシック音楽の歴史上に一大イベントがあった。 ベートーヴェンの「第9交響…

マーラーの「亡き子をしのぶ歌」に寄せて

マーラーは1901年夏、41歳のとき、リュッケルトの詩「亡き子をしのぶ歌」の作曲に取りかかった。この詩は、リュッケルトがエアランゲン在住の間に、相次いで亡くした2人の息子と1人の娘を偲んで執筆し始めた一連の詩からの5編である。(リュッケルトのこと…

ボンのベートーヴェン像前にて

シューマンも気に入っていて何度も散歩で訪れた、ボン、ミュンスター広場のベートーヴェン像。 1845年にベートーヴェン生誕75年を記念してこの像の設立が企画された当時、シューマンは自身が主宰していた雑誌「新音楽時報」に寄付を呼びかける記事を書いたほ…

5月7日ブラームスの誕生日に

5月7日はドイツを代表するヨハネス・ブラームスの誕生日。私の今年のソロ・リサイタルはその日にあわせて、ブラームスの歌曲による夕べになった。 最近、おもしろいことに、携帯に自分の生年月日を登録したら、曜日まで出てきた。私が生まれたのは月曜日だっ…

メサイアとお月さま

私の大好きなバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会。今回は調布市グリーンホール開館30周年を記念しての催しで、ヘンデルのメサイア。素晴らしい演奏で、大盛会だった。この曲ではソプラノのソロは、大抵白い衣装で登場し、天使のような存在だ。今回は、チ…

音楽の都ヴェネツィア

昨日、ヴェネツィア楽派のバロック声楽曲の演奏会を聴かせていただく機会がありました。古楽アンサンブルと歌での演奏会、とても楽しみました。誰もが受験の課題曲で勉強したようなイタリア古典歌曲は、もともとは通奏低音がついていて、チェロとチェンバロ…

オペラ発祥の地フィレンツェ

夏のフィレンツェは、石だたみ、石造りの建物と、すべて石づくしの街で、まるで石焼オーブンの中にいるかのような暑さでした。冬、年末年始のフィレンツェは、ドイツから行った身には暖かく感じられ、芸術鑑賞に冬休みを費やそうという観光客が、のんびりと…

バッハさんのお仕事

私は昨今、この12月にクリスマスを祝う会で歌わせていただく準備に取り組んでいます。音楽の準備はもちろんですが、プログラム冊子も作成します。いつも演奏会の前になると、なぜかパソコンに向かって、ほとんど画面にのめりこみそうになりながら、原稿を書…

めざせウィーン世紀末

ベルクの1909-10年作曲の「4つの歌」op.2を昨日の演奏会で歌いました。 10日ほど前だったか、「すかっぱれ」のある日のこと。(スカッ晴れ:この言葉は野球の長嶋監督のお嬢さんがはじめてテレビに出た頃、ニュース番組で使った言葉です。放送用語にはあり得…

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (1714-1788)

先日、私はバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品の演奏を聴きました。 大バッハの次男で、晩年はハンブルクでテレマンの後任として教会総監督をつとめ、やはり「大バッハ」と慕われた彼は、その前に1740年からプロイセン王国のベルリン…

メルセデスさんとのご縁

実は、私の本当のオペラ初出演は、先の記事に書いたものに遡り、音大3年生の学園祭における日本語版カルメンのメルセデス役だった。これは学生同士で作り上げたもので、それなりに皆、熱演で好評だった。私はやがてメルセデス・ベンツの本拠地に留学すること…

ウィーンからのCD

留学中、シュトゥットガルトで、バッハのマスタークラスで知り合った私の友人、ウィーンっ子のアルト歌手が今、某劇場の日本ツアーのソリストとして来日している。先日、関東地方での公演にあわせて、公演後に一緒にビールで食卓を囲んだ。趣味でウィーン楽…

ザルツカンマーグート:マーラーの作曲小屋

マーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会に向けて、マーラー関連の本も紐解いてみました。何より私をひきつけたのは1枚の写真でした。それは、マーラーが1893年から96年にかけて夏の休暇に滞在して作曲に専念したという、アッター湖畔シュタインバッハの湖に…

ライプツィヒのバッハにちなんで:マーラーの交響曲第2番「復活」とバッハ

マーラーは1886年から、なんとライプツィヒ市立歌劇場で首席指揮者ニキシュのアシスタント指揮者として2年間を過ごしています。この街で、マーラーは作曲家としても、ウェーバーの孫と知り合ったことを機に、ウェーバーのオペラ「3人のピント」を編曲し、188…