ウィーンからのCD

留学中、シュトゥットガルトで、バッハのマスタークラスで知り合った私の友人、ウィーンっ子のアルト歌手が今、某劇場の日本ツアーのソリストとして来日している。先日、関東地方での公演にあわせて、公演後に一緒にビールで食卓を囲んだ。趣味でウィーン楽友協会合唱団で歌っているご夫君も一緒に来日していて、3人で、その日の公演のこと、お互いの近況などなど積もる話は尽きなかった。

この夏の私のマーラー「復活」のソロの経験を話していると、おもしろいことがわかった。私がこの演奏会に向けていろいろ聞いたCDの中で一番気に入っていた録音の合唱を、なんとそのご夫君は合唱団の一員として歌っていたのだ。私はそれをどこかの図書館で聞いた、と話すと、ウィーンの自宅にもっているから帰ったらそのCDを送るよ、とのこと、それから1週間ほどで、早速ウィーンからCDが到着した。このCDはアメリカの実業家でユダヤ人であるキャプラン氏の指揮したウィーン・フィルによるものである。

キャプランアメリカで新聞社を興して財を成したユダヤ人の実業家である。あるときマーラー交響曲第2番に魅せられて、この作品の自筆譜研究などに没頭。指揮法も集中して学び、ついに、指揮者としてデビュー。このマーラー「復活」だけを指揮する指揮者としてアメリカのみならずヨーロッパ各地のオーケストラとも共演して名声を博した。彼の凄いのは、そのようなアメリカン・ドリームを果たしたことばかりではない。マーラーが晩年まで手元において、最後まで訂正を加えたこの作品のスコアを入手、他の自筆譜も徹底的に研究して、その成果を出版する、という偉業を成し遂げた事にある。このCDはその出版に先立ち、最新の校訂版で演奏されたものとして評判になったものである。キャプラン氏は、マーラーが最後まで手元においたというスコアのファクシミリも、マーラーの手紙文の紹介を伴う大きな一冊の本として出版し、広く世に紹介した。これも私は大学の図書館で見つけ、感激したものだ。財力をこのような形で世に還元した彼は尊敬に値する。その演奏は決して派手ではないが、素朴な、簡素な美意識に貫かれた名演である。マーラーユダヤ人の家庭に生まれた作曲家だったから、キャプラン氏には同じ民族として特別な思いもあったのかもしれない。

いつも出会いの不思議に遭遇するけれども、今回もまた驚かされた。生きている限られた時間に出会う人とは、そもそもご縁があった、ということになるが、こうしてこの夏の私のマーラー体験には、これを機に新たに出会った人たちがいたばかりではなく、過去に遡ってまで、このウィーン子との出会い、そのご夫君、と不思議なつながりをたどることができるのだった。

私は、そのウィーン子夫婦のお宅をステイ先としてウィーンに滞在させていただき、講習会に参加したこともあったが、その講習会でお世話になった私の歌の師が、ちょうど今、来日していて、2週間、日本の声楽学生の指導に当たっている。今日はその先生に久しぶりに東京で再会した。

私が留学から日本に帰って以来、次々とゆかりのある人々が、まさか私に会うことが第一の目的ではないものの、なぜか日本へいらっしゃることになり、次々と東京で再会できるのも本当にうれしい、不思議な出来事だ。