過去、現在、未来

このブログには現在の出来事ではなく、思い出を綴っているけれども、それらは何かしら現在につながっているからこそ、私の記憶に蘇ってきた事柄である。

その日の出来事も、それを振り返る夜にはすでに過去のことになっているから、その意味では毎日つける日記もすでに過去のことを書いていることになる。でも私は近い過去のことを、公開するにふさわしいような文章にすることができない。毎日の出来事には、一喜一憂があり、楽しい事もあれば、種々の葛藤もある。いろいろな思いが交錯して、とても人様に公開できるような状態にはない。それが時間が経つと自分の中でいろいろなことが消化吸収されて、最後のエキスだけが思い出として残るようになる。そのとき、ようやく公開できるような文章になる。少なくとも、自分にとってポジティヴな思い出として残った事柄なら、読んで下さる方にも不快感を与えることなく、願わくばささやかな幸せな思いを共有して楽しんでいただけるのではないか、という思いから、公開する勇気が出るのだ。

人間には忘れる能力があるから生きていられるのだ、と心理学で学んだ。もし生まれてから一生を終えるまでに忘却という機能が働かなかったら、頭の中はパンクしてしまうのだそうだ。自分の記憶が思い出として凝縮されるのを待っているのは、無意識のうちにこの忘却の機能が働くのを待っている、ということなのかもしれない。

これからも、そういう良いエキスが残るような日々であるとよいなあ、と思う。