メサイアとお月さま

私の大好きなバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会。今回は調布市グリーンホール開館30周年を記念しての催しで、ヘンデルメサイア。素晴らしい演奏で、大盛会だった。この曲ではソプラノのソロは、大抵白い衣装で登場し、天使のような存在だ。今回は、チャーミングな姿と声の韓国のソプラノが一層の華を添えていた。

アンコールには、指揮の鈴木雅明さんのご子息で、チェンバロを受け持つ鈴木優人さんがアレンジしたクリスマスの讃美歌「まぶねのかたえに」。これがまた、とても素敵だった。

私のメサイアとの出会いは、中学3年のときクラブ活動の聖歌隊で高校の部員と合同80名で、女声合唱用に編曲された形でほぼ全曲を歌ったときだったと思う。その後、芸大に入って、毎年、声楽科の学生が合唱を歌うメサイアに二度出演した。(ふつうは1,2,3年のとき3回、当時はさらに4年生の有志も参加する習慣だったが、私が1年生のときは、もうひとつの合唱定期演奏会用のバッハ「ヨハネ受難曲」に手がかかり、その年だけは、1年生はメサイアは練習が間に合わないから出なくてよろしい、ということになったので1回、回数が少なくなった。)いずれにしても、大学のときよりも、中学生のときに覚えたものが身体にしみ付いていて、つまり、女声合唱用に編曲されていたので、アルトはしばしば、テノールを歌うべきところもカバーしていたようで、大学の合唱の時間に、テノールの人が歌うところで、ふと歌いそうになってしまい、あれ?ここはテナーだったのか、と思うことがよくあった。

メゾソプラノの私の声はそんなにアルトっぽくはないと長らく思っていたけれども、ドイツでこのメサイアのアルトのアリアを歌ったとき、いいアルトだね、と声をかけられた。あんなに大きなゲルマン民族の人たちにそういってもらえるのはとても思いがけないことだった。

ヨーロッパで勉強してよかったのは、空間に響く音を聞けるようになったことかもしれない。どんな部屋で歌ってもそれなりに反響があり、その反響に支えられるようにして、次に続く声が楽に出るような、不思議な感覚だった。

帰国後の私は、もっぱらそんな感覚を失わないように、広いところ、あるいは心地よく響くところを練習場所に求めて止まない。残念ながら慣れ親しんだ日本家屋はこの点では非常に困難だ。

ところで、この日、ホールのロビーから満月に近いような月が見えた。

この夏、留学していた街を1日だけ再訪、いろいろお世話になったドイツ人のおばさまとズビン・メータ指揮イスラエル・フィルによるマーラーの「復活」演奏会を聴きに行った。終演後は、席を予約して下さってあったカフェで軽い夕食をご一緒した。別れ際、人がひいてひっそりとした会場の前を通り、「ああ、慣れ親しんだホール!いつかまたここで歌えたらなあ。」と言った私に、「きっとまた来られるわよ、ほら、満月もそう言っているでしょ!」と空の満月を指しておばさまが言ってくれたことを思い出した。

調布で見た月も、夏に見たドイツの月も、同じ月。同じお月さまが見守っていてくれるのだ、と思うと、嬉しいというかほっとしたというか、童話の世界のような、不思議な気持ちになった。夢は捨てずに大事に持っていよう。