マーラーの「亡き子をしのぶ歌」に寄せて

マーラーは1901年夏、41歳のとき、リュッケルトの詩「亡き子をしのぶ歌」の作曲に取りかかった。この詩は、リュッケルトがエアランゲン在住の間に、相次いで亡くした2人の息子と1人の娘を偲んで執筆し始めた一連の詩からの5編である。(リュッケルトのことはこのブログに「フランケンが生んだ文筆家リュッケルト」として紹介した。)このとき、マーラーはまだ、後に妻となる女性アルマに出会っていない。ようやくこの年の11月に2人は初対面を果たすと、12月には婚約、翌年3月には結婚した。その後、アルマも一緒だった1904年夏にも、この作品の作曲に取り組み、そこで「亡き子をしのぶ歌」全5曲として完成をみた。いずれの夏も、オーストリア南部のヴェルター湖畔のマイアーニッヒの別荘に滞在していた。
アルマは実際に可愛い子供たちに恵まれているときに、亡くなった子供をしのぶ歌なんか不吉で、どうしてそんな作曲ができるのか、やめてほしい、と思っていた。実際にその3年後、マーラー夫妻は5歳に満たない長女マリア・・アンア(1902年11月3日生まれ)を不運にもジフテリアにより失ってしまった。
あとから現実の悲しみが伴ってしまったので、この曲にはさらに悲しいイメージが重ねられてしまうが、しかし、作品自体は、マーラーが人として全身全霊の愛を注ぎ込み、真摯で豊かな音楽で満たした、愛すべき名作である。今年はそのマーラーも生誕150年を迎えた。
 
偶然にも私は、マーラーの長女と同じ11月3日生まれだ。マーラーの音楽に魅かれるのには何か因縁があるのかな、と思ったりもする。日本では文化の日。私も文化に少しでも貢献できる存在になりたい、と思う。襟を正して!