シューマン&クラーラの新婚の家 in ライプツィヒ

イメージ 1これは、ロベルト・シューマンがクラーラ・シューマンと結婚した当初から4年間暮らした家、ライプツィヒシューマンハウスです。見学を終えた夕暮れ時に撮影しました。修復工事を経て、2階のシューマン一家の住まい部分が展示室として公開され、それ以外の部分にはクラーラ・シューマンの名を冠した小学校と音楽スクール、そしてシューマンハウス復興の舵取りをしたロベルト・クラーラ・シューマン協会などが入っています。
 
1990年代半ばまでは個人の住まいとなっていたため公開は不可能でした。その後、空き家となり荒廃が心配されていましたが、1989年のベルリンの壁崩壊後の政治経済の変化の流れも受けて、修復及び公開が実現したようです。こういった音楽史上重要な人物にゆかりの土地や建物などの保存、公開は、そのような場の豊富なドイツならではの、経済的にも決して楽ではない大変な課題であるようです。
 
先日、ハンブルクブラームスハウスとコンタクトをとる機会がありました。その折、館長さんより、ハンブルクにあるブラームスハウスの訪問客の30パーセントは日本人であるとのお話がありました。それは地元ハンブルクなどからの訪問者よりも多い割合だそうです。東洋に生まれ、暮らしながら西洋音楽を愛する日本の私たちにとって、その音楽の本場、源はどんな風だったのか少しでも見てみたい、という思いは非常に強く、プロ、アマチュア、愛好家を問わず、機会を見つけては出かけていく、という風潮がかなり定着していますが、そのように本拠本元のドイツ人よりも日本人の割合が多い、というブラームスハウスのお話は、何とも興味深いものです。
 
クラッシック音楽の歴史の本場に暮らす方々にとっては、歴史的史跡は数限りなくあり、それをすべて訪ねるとなれば、とてつもないお話になってしまいます。住んでいる街自体がすでに、そのような史跡で溢れている場合も多いのです。そのような環境にあると、むしろ、現実の生活も含めて、現代に生きることに主眼が置かれる傾向にあるようです。
 
日本からロマンを抱いてクラシック音楽ゆかりの史跡を訪ね、そのような体験を通して醸し出される私たち日本人の奏でるクラッシック音楽が、プロ・アマを問わず世界でそれなりの価値を認められる時代は、すでに到来しているのかもしれません。