「ます」の逸話~アスペルクと詩人シューバルト

知らない人はいないほど、日本でも定着しているシューベルトの「ます」。オリジナルのドイツ語詩による歌曲はもちろんのこと、器楽の五重奏曲でもすっかり有名だ。ところで、この歌詞となっている詩を書いたのはシューバルト。ミスプリではなくて、本当にシューベルトと一文字違いのお名前だ。
 
この詩の内容について、ますを釣り上げる釣り人を男性に、釣られる健気なますをうら若き乙女と解釈する向きが少なくないが、実はこの歌は非常に政治的なメッセージを含んでいたのだ、と留学前に日本で受講したマスタークラスで聞いたことがあった。何でも、シューバルトは何者かの策略により、10年間も投獄されるはめになり、そのような自分の身の上を、釣り上げられてしまった「ます」にたとえて訴えた、というのである。幸い、自由の身になった後は、シュトゥットガルトの劇場支配人となり、身分を回復した。
 
ところで、シュトゥットガルト留学中、近郊の歴史ある城下町ルートヴィヒスブルクを通り過ぎ、タムというSバーン(近郊列車)の駅近くにお住まいの日本人のご家庭をお訪ねする途中に、アスペルクという駅があった。小高い丘が見える。あるとき、リートクラスでコンビを組んでともに学んでいたピアニスト氏が本業のオルガンをコンサートの通奏低音で弾くというので、観客の一人として私はこのアスペルクの駅に降り立った。確か大家さんのおばあちゃんに、「今度、アスペルクに行くんです」、とお話したときだっただろうか、「あそこは昔、牢獄があったんだよ、丘の上に」、と教えてくれたものだった。そう、あの小高い丘の上が牢獄だったのだ。そして何と、「ます」の詩を書いたシューバルトもここに投獄されていたのだ。歴史が、音楽史が、音楽、そして歌詞が、急に現実味を持って迫ってくる瞬間。鳥肌ものだ!
 
ドイツの人は、ヨーロッパの人は、こうやって脈々と現代にまで続く場所で、その芸術を享受している。作品が一人歩きを始めれば、必ずしも、生々しいオリジナルな場所を知る必要はないが、それでも、こんなとき、私は感動してしまう。
 
日本語の歌詞でも中高時代に慣れ親しんだ「ます」。チロル地方でのマスタークラスで、イン河の流れる山村で歌った「ます」は、こうして、私の留学したシュトゥットガルトの郊外の歴史にも繋がっていた。
 
写真に収めていないのが残念だが、いつか再訪することがあれば撮って来よう。