シューマンが住んだ家

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そうして忘れてはならないのが、このプレートの着いた赤い家だ。ここはロベルトシューマン1838年10月から1839年4月までウィーンで住んだ家。結婚前にクラーラが演奏会でウィーンに来て賞賛を得たのが1838年のこと、クラーラはシューマンがウィーンで雑誌を発行してはと助言して、ウィーンにシューマンを呼び寄せたが、検閲や派閥の多いウィーンでそれは成功しなかった。しかし、ウィーンでのシューマンの滞在には、後世に遺る大発見の成果があった。シューマンは、当時まだ存命中だったシューベルトの兄フェルディナンドをウィーンで訪ね、シューベルトの遺品の中から交響曲ハ長調(「大交響曲」D944)を発見、楽譜を即座にメンデルスゾーンに送り、ライプツィヒのゲヴァントハウスで初演の運びとなり、出版も速やかに行われたのである。
 
このシューマンの住んだ家も、先のシューベルトのコンヴィクトも、今回私が宿を取った場所からすぐ裏手にあたる辺りにあった。こうして、ヨーロッパを旅していると、歴史がすぐそばに寄り添って来てくれるような経験をすることが少なくない。