ベートーヴェン第8番に思う

先日、とあるコンサートで、ベートーヴェン交響曲第8番を聴く機会があった。その
曲目解説に、この曲はベートーヴェンが夏の避暑地テプリッツに滞在した1812年7月から本格的に作曲が開始され、10月にリンツで完成された、とある。この夏のテープリッツではゲーテとの会見の実現や、あの「不滅の恋人への手紙」が書かれたことも周知の通りである。
 
ベートーヴェンがこの地テープリッツに滞在したのは、実はこの年は2回目であって、前年1811年の夏にもここを訪れていた。過労で体調を崩したベートーヴェンは主治医のすすめで、温泉保養地であったテープリッツへ湯治に出かけたのである。そのときには詩人ティートゲと親交を深め、これが、ティートゲの詩によるカンタータ的歌曲「希望に寄せて」op.94作曲への契機ともなっていく。このあたりは、私の先日のリサイタル解説にも書き留めたことだ。また、その11年夏のテープリッツ滞在のあと、秋にウィーンに戻ったベートーヴェンは、あの「のだめカンタービレ」ですっかりお茶の間にも馴染みの曲となった晴れ晴れしい交響曲第7番を作曲を開始したそうである。
 
そんな曰くありげな土地テープリッツがどんなところなのか、私自身は行ったことがないだけにとても興味があった。それが、交響曲第8番を聞きながら、非常に身近に感じられるような気がしてきた。華々しい第7番と違って、第8番には何か自然の音を聴くような素朴な魅力がある。まさしくこれはテープリッツベートーヴェンが聴き、肌で感じた空気の再現であろう。特に第4楽章の終盤で、管楽器群で音を受け継ぎながらある瞬間に演奏される奇妙な、不思議な、ピーポープーパー、パーピーポーペー、と聞こえるパッセージは、様々に交錯する鳥の声なのかもしれない、と思えた。あるいは何か他に、その土地のシャルマイやバグパイプのような楽器であるとか、何か正解はあるのかもしれないが・・・。
 
いずれにしても、急にこの交響曲が親しみを持って感じられるようになった。音楽との出会い、とはまさにそうしたもので、あるとき、急に今まで気がつかなかった、感じなかったもの、に触れるような体験となることも少なくない。
 
ベートーヴェンは日本ではドイツ音楽の大家として、また、交響曲の分野の完成者として、神聖視されていた時代が長かったようだが、厳粛な『運命』ばかりではない、格調高い『田園』や『英雄』ばかりではない、こういった素朴な自然の中での情景、心情を歌った、いわばカジュアルな作品があることは、何とも微笑ましいことだ。今だったら、平日のスーツを脱ぎ捨てて、ユニクロを身に付けレジャーに行く、といった感覚だろうか。生活にはオン、オフがつきものだし、その両方が私達の暮らしを作っている重要な要素である。現に、初版出版当時、この作品も大人気だったと、その演奏会のプログラムにも書いてあった。
 
*手軽に手に取ることのできる写真や図版入りの新潮文庫ベートーヴェン』(平野昭著、カラー版作曲家の生涯)には、テープリッツの風景画も掲載されている。
 
*冒頭に書いた、とある演奏会とは、武蔵野音楽大学室内管弦楽団演奏会で、指揮はクルト・グントナー氏。