水戸光圀の塔@ドレメ通り

イメージ 1先の衣装博物館前の小さな庭に、何やら不思議なものを見つけました。大きな灯篭のように見えます。説明書きによると、これには徳川家の紋が入っており、水戸光圀(1628ー1700)の命により鋳造された塔、とあります。その後、高橋是清が赤坂の自宅に移し、さらにその息子是賢が目黒に移し、それを昭和24年に杉野学園が譲り受けてここにある、とのこと。
 
ちょうど入口から閉館の片付けのやめに出てきた係のお姉さんが居たので、おたずねしてみると、この作品の変わっているのは、屋根の四隅に龍が舌を出した姿でついていることだ、というのです。その一つの修理のために塔全体が覆われていましいたが、なるほど、残りの三隅には、龍の頭が舌、しかも二枚!を出した姿でついているではありませんか?!(写真二まい目参照) 何とも珍しいものです。
 
イメージ 2二枚の舌を持つ龍、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』にもそこまでは記述がなかったような・・・東洋の龍もなかなか凄そうです。あるいは、この二枚、というか、二本の舌を持つ龍は、水戸光圀さんのオリジナルの発案なのでしょうか?!今度注意して日本画を見てみましょう。茨城県大子町出身だった私の祖父の書いた絵にも龍の絵は随分あったはずで、目録も見たことがありますが、こんな舌にはあまり見覚えがありません・・・
 
ところで、もう一つ、水戸光圀の1624年という生年を見ながら、西洋の作曲家だと・・・と思いを馳せました。バッハは1685年ですからまだ生まれていません。イタリア古典歌曲集の中の名曲「私の偶像の回りで Intorno all'idol mio」を作曲したチェスティは1620年生まれでしたから、ちょうど同じ頃といえます。
 
大日本史編纂の光圀さんも、さすがに良い仕事、していらっしゃいました!