弦楽器レパートリー鑑賞入門編!

イメージ 1今日の薔薇。見事に咲いている。これも夕方の撮影。綺麗なオレンジ色。
 
朝から音楽高校の卒業演奏を聞いて帰宅。副科声楽を教えて知っている生徒たちが数名出演していた。今日は弦楽器の日だった。この薔薇はみんなの卒業へのお祝いのお花なのかもしれない。
 
全員の演奏を聴き、本当に圧巻だった。高校生でここまで作品に肉迫するような演奏になるのだ、と弦楽器という分野の特殊性とはいえ、舌を巻く。音楽がこんなに大人の世界になっていて、これからどうやって成長するのかと、逆に心配になってしまうほどだ。
 
ともかく今日は観客として鑑賞した一日だったから、自分の専門外の分野のレパートリーの見識を広めるという、私にとっては一般教養のような、ためになる時間でもあった。協奏曲が多かったが、伴奏はすべてピアノ1台。
 
6月としては史上初の猛暑日となった今日の昼間、涼しいホール空間で有意義なひと時を過ごさせていただいたことにまず感謝。
 
個人的に関連性を感じるという観点で、今日聞いた作品について、帰宅後に調べたことを含めて覚書程度の感想やメモを、下記の通り記録しておこうと思う。こうしておくと、次にその曲を聴く機会があるときに、我ながら参考になったりもするものだ。クラシック音楽はカタカナの作曲家名、作品名、いろいろあって、音楽を専門にしている私でも、ちょっと知らない分野になると、前に聞いたことがあるかないか、さえ定かでなくなってしまうものだから・・・笑・・・
 
ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲 二長調」op.77の第一楽章は力強く骨太なブラームスの、それでいてとてもみずみずしい、潤い溢れる音楽だ。楽器がちょうどそういったタイプだったのか、はたまた演奏者の奏法が優れているからなのか、その両方なのかもしれないが、とにかく、音楽に合致した音色が最初から聴こえて、それだけでもとても充実感があった。この作品は1878年の作曲だ。ブラームスは1877年から1879年までの3夏をヴェルター湖畔のペルチャハで過ごした。この作品もそのペルチャハで作曲された。鈍重なイメージの根強いブラームスであるが、歌曲においてもヴァイオリンにおいても、ときに瑞々しい音楽が聞こえることがある。これも風光明媚な明るい陽射しのある湖畔を愛したブラームスの確固たる一面であることを忘れてはならない、と私は常々思っている。初演は1879年1月、ライプツィヒのゲヴァントハウスにて、ブラームスの指揮、ヨーゼフ・ヨアヒムのヴァイオリン独奏で行われた。
 
イギリスの作曲家ウォルトン(William Walton 1902-1983)の「ヴィオラ協奏曲」も素敵な曲だった。ヒンデミットに献呈された曲で、彼が初演している。ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963)は作曲家として著名であるが、最初ヴァイオリニスト、その後、ヴィオラ奏者としても活躍した人だ。
 
グラズノフ(A.K.Glazunov)の「ヴァイオリン協奏曲 イ短調」 op.82では、スピード感に乗りながらも、いぶし銀のような大人の音楽を聴かせてくれた人がいて感嘆する。随分洒落た曲があるものだ、という気がした。
 
ハチャトゥリアンの「ヴァイオリン協奏曲 二短調」(第一楽章)は、鮮烈な薄めの、でもよく伸びる音のするヴァイオリンでとても演奏効果が上がっていたように思う。昔ピアノで習ったハチャトゥリアンを思い出したり・・・。
 
ヴィエニヤフスキの「『ファウスト』の主題による華麗なる幻想曲」op.20では、グノーのオペラ「ファウスト」でメゾソプラノが比較的若い頃に必ず一度は勉強する小姓ジーベルのアリアのテーマが、最初のうちにそこここに出てきて面白い。
 
バルトーク(1881-1945)の「ヴァイオリン協奏曲第二番」Sz.112a(第一楽章)を聴きながら、ハンガリー出身の歌手の先生に習ったことなどを思い出す。残念ながらハンガリー語のレパートリーは習わなかったけれど、ヨーロッパ中で活躍されたプリマドンナ、波乱万丈な人生を綴った自伝もいただき、大事にしている。
 
シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」op.47(第一楽章)。この作品の初演は1904年フィンランドヘルシンキ、改訂版は1905年ベルリンで初演された。昨年11月のドイツへの旅でフィンランド航空、ヘルシンキ経由ベルリン着というルートを取ったことを思い出す。フィンランドムーミンの国でもあり、空港にはムーミングッズもたくさんあった。トナカイの生ハムもあった。熊の肉の缶詰も!私はトナカイのハムのみ帰路に購入、家族でのクリスマスに試しに食した。乗り換え時、外は吹雪。ベルリンまでの短い飛行用の小さな飛行機の離陸前には、シャワー車のようなのがやってきて飛行機の翼に思いっきりお湯(だと思う)をかけて、翼に積った雪や多少の凍てつきをとかして離陸となった。北国ならではの光景だろう。初めての経験だった。
 
ワックスマンの「カルメン幻想曲」は有名な曲だ。確かのだめにも出てきたかな。カルメンのオペラはかつて学生時代に学園祭で、全幕メルセデス役(日本語版)で経験しているからとても懐かしく、どの音楽がどの場面かはよくわかる。カルメン役はフランス語で一応全曲勉強してある。やっぱりオペラ「カルメン」は古今のヒット作だなあ、などと思いながら今日の卒業演奏会は終わる。
 
順不同で書いているので漏れてしまったが、ラヴェル(1875-1937)の「ツィガーヌ」もあった。ラヴェルはフランスのスペインとの国境付近に位置するバスク地方、シブールの出身である。私がシュトゥットガルト留学当初にコンビを組むことになったピアニスト君の彼女がまさにこのバスク地方(確かスペイン側)出身で、やはり歌手だった。彼女の名前がとても変わっていて、すでに同棲していた彼ら宅の留守番電話に名乗りを挙げる二人の名前のうち、どうしてもこの彼女の名前が聞き取れないので聞いてみると、バスク人、とのことだった。そう、今でもスペイン人とは決して言わない民族性がスペイン各地に残っている。スペインでは各地域の民族は自分たちの民族名でナショナリティを名乗るのだ。そんなわけで、あるとき、夏休みを彼女の里で過ごして来たピアニスト君から、次の学期初めにこのバスク地方の絵葉書をお土産にいただいた。そこには「モーリス・ラヴェルの家」と書かれて、小さな船が寄せられた海辺にあるラヴェルの生家が写っていた。もう一枚はその隣町のサン・ジャン・ド・リュズの美しい水辺の風景だ。さすがの私もまだそこまでは足を運んでいない。ピレネーから西は、いや、正確に言えば、パリより西は未踏の地だ。
 
イギリスのプロムスでお馴染みの「威風堂々」の作曲家エルガー(1857-1934)「チェロ協奏曲 ホ短調」op.85(第3、4楽章)ではチェロがとても明るい音色で聴こえてくるのが不思議なくらいだった。作曲家の気質がこういう風に反映されているのかな、と興味深く想像したりする。
 
ラロ(1823-1892)「スペイン交響曲 ニ短調」op.21(第4、5楽章)も全曲を通して量感のある旋律が印象的な曲だ。サラサーテに献呈し、初演された作品。ラロには「イスの王」という、中世ブルターニュ地方の伝説を基にしたオペラがある。
 
弦楽器終了後は、作曲家の学生の卒業作品が、今日の出演者たちからの室内楽と作曲者本人のピアノで演奏された。題名は「ツァラトゥストラへの序章」というものだ。音楽には水の煌きのような音がしばしば聞こえた。ニーチェ岩がスイスのジルス・マリアの湖畔にあり、訪れたことがあるが、この作曲者は高校生にしてその地に行ったのか、あるいはまったくのイマジネーションなのか、本人に聞いてみないとわからないが、驚かされた。ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りきの着想をその地で得た、と言われている。
 
私の手元にこのニーチェの作品の文庫版(上下巻)がある。学生時代に手に取ったものだが、すっかり忘れている。マーラー交響曲第3番のアルトソロの歌詞になっている部分が、そのニーチェ岩には刻まれていて、それはこの作品からの引用部分である。殆ど忘却のかなたのこのニーチェの作品でもこの夏は読んでみようか、という気持ちにもなった。勉強したいことは尽きることがない。暗譜に追われるリサイタルや本番がひと段落したときは、そんな充電期間の始まりでもあり、こんな時間も私は好きである。