モーツァルトの音楽はチロリアン?!

イメージ 1真は武蔵野音大構内のベートーヴェンホール入り口前の屋外にあるベートーヴェン像。目を大きく見開いている随分と太面(?!)のベートーヴェンのご尊顔を拝することができる。
 
今日はこのベートーヴェンホールでの演奏会を聴かせていただく機を得て、ありがたく拝聴させていただいた。武蔵野音楽大学室内管弦楽団演奏会だった。指揮はクルト・グントナーさん。
 
プログラムはヤナーチェク『牧歌』、モーツァルトクラリネット協奏曲 イ長調』K.622、休憩後にはハイドン交響曲第91番変ホ長調』。
 
最初のヤナーチェクを聴き、こんな優しい感じの曲がヤナーチェクにもあるのか、と思うが、第4楽章くらいからチェコヤナーチェクは東部のモラヴィア地方出身とのこと)方面特有のスラヴ色豊かな力強い音楽が圧倒的に姿を現してくる。第5楽章はドゥムカの形式だそうだ。(ドヴォルザークに『ドゥムキー』という曲があるが、これは語尾変化なのだろうか?勉強しなくては・・・。と、音楽辞典を開いてみると、そう、ドゥムカの複数形がドゥムキーである。つまり、ドヴォルザークピアノ三重奏曲第4番『ドゥムキー』op.90は6つのドゥムカからなる作品である。ドゥムカとは、スラヴ民族特有の哀歌の形式で、緩急の部分の交代を特徴とし、緩やかな部分は抒情的、多くは短調、急速な部分は突如踊りの動きに転じるもので、多くは長調とのことである。)なるほど、ドゥムカ形式であるという第5楽章で、急に早い曲が連続して始まったとき、次の第6楽章のスケルツォが始まったのかと勘違いしそうになったのは、まさにドゥムカ形式の緩ー急の急の部分が始まったところだったのだ。さらに第7楽章に至っては、弦楽器の音量がものすごく豊かに鳴り響く。室内管弦楽団で(弦楽器は総勢20名くらいに見えた)こんな豊かな音量が出るとは、凄い!そうだ、やっぱり今日指揮しているのはヴァイオリニストのグントナー先生だから、よほど特別のご指導もあったかもしれない。この先生は、若くしてバイエルン国立歌劇場管弦楽団コンサートマスターに就任、以後、ミュンヘン・フィルやあのワーグナーバイロイト音楽祭祝祭管弦楽団コンサートマスターを長く務められた、ドイツの演奏史を自ら体現されるような方である。
 
日本ではよく「**の権威」などとその分野の第一人者を指して呼んだりするけれども、音楽はそもそも「権威」などと名がついたら、即、腐敗する危険を孕んでいる。それに反してこのグントナー先生が偉大なのは、東京でも度々聞かせていただけるヴァイオリンのソロや室内楽での演奏において、常に新鮮な境地を開いていらっしゃることだ。あるいは常に、新たなものに取り組む姿勢で演奏に当られている、といったらよいだろうか。それこそ音楽を生きたものにしてくれる唯一の要であろうと思われ、私はその演奏に触れる度に、もし自分が魚だったら、まさに生きが良くなるような、そんな貴重な息吹をいただいている。
 
そんな方が指揮をされ(私は今回、初めて指揮姿を拝見)、楽団はとても生き生きとした音楽を奏でた。
 
モーツァルトクラリネット協奏曲では、第2楽章の最後の楽団とクラリネットのフレーズまで聴いたところで、ふと、チロル、アルプスの山が背景にみえるような風景が思い浮かんだ。それで、そうか、ザルツブルク生まれのモーツァルトはウィーンへ旅するにもイタリアへ旅するにも、オーストリア・アルプスやチロル地方の山々や緑の野辺の風景を見ていたのだ、と今更ながら思い至った。そう思って聞くと特にクラリネットのこの曲はアルプスのヨーデルのように聞こえるところもあるし、そうでなくても管弦楽の快活な音楽は、そもそもモーツァルトの殆どすべての音楽の特徴ともいえる典型的なムードであるが、まさにそういう風土の中で生まれた音楽ではないか、と改めて考えさせられた。今まで私は、モーツァルトの音楽にウィーンの宮廷とか、その他とてもロココ調なイメージを個人的に強く抱いていたので、とても目からうろこの体験であった。インスブルックやヴェルグルなど、モーツァルト父子が辿った道のりを訪れる機会のあったときのことも改めて思い出し、彼の音楽と改めて考え合わせてみると、非常に感慨深いところである。
 
ハイドンのこの交響曲はパリのために作曲されたとのことであるが、とてもエネルギーに満ちた作品で、ちょっとおどけたようなハイドンを聞いたこともあるが、今日の作品は何か真正面から本腰を入れている音楽に聞こえた。(ハイドン先生、不勉強な感想でゴメンナサイ!)
 
アンコールには、グントナー先生のアナウンスが入り、拍手なしで東日本大震災地震津波の犠牲になった方々、いまだ行方不明の方々、すべての命への追悼の想いを込めて、拍手なしで、とのことわりつきでバッハの「アリア」が演奏された。
 
そのまま舞台上全員のおじぎがあり、演奏会は終わる。退場するグントナー先生に向かって、ドイツ語で「ダンケ、ダンケ・シェーン!」という、客席にいた(多分)ドイツ人男性による声がかかった。気づきかけたグントナー先生も振り返ることなくそのまま舞台から退場された。
 
とてもよい演奏会だったので、最後も拍手喝采して終わりたかったのが正直なところだけれど、これが今日の演奏者及び主催者のお心なのだろうと思えば、納得しない人はいないだろう。被災地の復興はまだまだこれからが本番だし、今回の災害の犠牲があったことは、今後の街づくりのためにも忘れられることがあってはならない。(私は全ての演奏会でこのように追悼演奏がなされるべきであるとは考えていない。よい音楽そのもので社会に活気を、心に栄養を贈ることができれば、まずもって存分な音楽の効能であるとも考えられるからである。)
 
行きは東京のベートーヴェン像に入り口で迎えられ、帰りはたくさんの音楽の息吹いっぱいに満たされて帰途についた。
 
思えば、今日、私が履いていた靴は、昨年の3月、ベートーヴェンハウス室内楽ホールでのリサイタルのため、ベートーヴェンの生地ボンを訪れたときに、購入したものだった。あのときは、寒い長い冬で、完全な冬支度で旅に出たけれど、ある日、急に春めいてきて、冬用の雪靴一足で旅に出ていた私は、春らしい軽い靴を!とボンで購入した靴だった。ベートーヴェンさんに感謝の念が改めて湧いてきた。今日のプログラムにはなかったけれど、ベートーヴェンは永遠だ!!!
 
そういえば私の母校にも確かベートーヴェン像はあった。今度、その写真も撮っておかなくては。