ドイツの近代建築とバウハウス

上野の芸大美術館で行われているバウハウス展に時間があったのでふらりと立ち寄った。思いがけず、ドイツがとても懐かしくなった。

バウハウス、要するに1919年に設立されたドイツの美術、建築に関する教育を行った学校とその流派のこと。

ワイマールに開校、その後、デッサウに移ったが、ナチスにより1933年には閉校となった。とはいえ、その影響は、現代建築にまで及んでいるといわれる。

ドイツで、アパートや住宅地で、また地下鉄や路面電車などに、とっても突飛な色使いを目にすることが結構あった。黄色の壁に原色の青の窓枠とか、とにかく、日本ではあまり考え付かないような色の取り合わせが、住居の建物や車両に使われていたりする。これはいったい何なのだろう、と不思議に思ったけれど、昨日のバウハウス展で展示されていたイスや家具、部屋の模型など見ていたら、もしかしたら、そういうものも近代のバウハウスによる影響なのだろうか、と思えた。それが本来のバウハウスのセンスそのものではないとしても、100年、200年経っても変わらない旧市街の伝統的、歴史的街並みとは対照的に、新しいものを創るのだ、という意気込みに、いわばバウハウスに象徴される近代、現代の掛け声のようなものが、反映されているように思えてくる。

アルマ・マーラーマーラーの亡き後に結婚した建築家グロピウスは、ワイマールに開校したバウハウスの初代校長であった。様々な色のキュービック柄による、多彩なグラデーションのある絵が印象的な画家パウル・クレーも、バウハウスで教えていた。

数値や図など計算もして、近代的発想を作品に取り入れようとした姿勢が、バウハウス関連の創作のいろいろなところに現れている。今となっては、数値や図が新しいという時代ではなくなったが、新しいものを創ろうとしていた当時の工房の雰囲気が伝わってきて、それがとてもフレッシュな風を感じさせてくれた。

この分野は専門外なので、まったく的外れなことを書いていたら大変申し訳ないけれど、素朴な感想まで・・・。

今度ドイツに行ったら、突飛な感じの新しい建物も、少し別な目で見られるかもしれない。そういえば私の留学した音楽大学も、かなりその系統にある近代建築だった。ドイツリートの世界からすると、最初は、え?これが現在のドイツ?、と戸惑ったものだが、それも毎日通っている間に、空気のような慣れた存在となっていった。近代的なフランクフルトの空港にしても、降り立つと、何かピリッと引き締まる感じがするのは、バウハウスに端を発する、現代ドイツの独特な味なのかもしれない。そしてその背後には、偉大な底知れぬ歴史的文化が常に控えている。