鼻つまんで清水!

イメージ 1上野の西郷さんの近く、不忍の池を見渡せる丘の上にあるお社は清水観音堂。正確には、寛永8年(1631年)に天海僧正により開山された、天台宗東叡山寛永寺水観音堂で、重要文化財に指定されている。開山以来、380年、このお堂だけが上野寛永寺の諸建物の中で、大火にも遭わずに現存している、歴史的重要物件だ。京都清水寺にならった舞台造りとのころ、まさに写真に写っているのはその舞台だ。そこから不忍の池や弁天堂を眺めることになる。
 
上野公園のお花見の折など、この清水観音堂の前をよく通り、上の舞台にも夜桜見物に登ったことがあったが、写真にみえるまあるい形状の木には、あまり記憶がなかった。今回、改めてアップで撮影をしてみる。
 
イメージ 2舞台から弁天堂を眺めるちょうどその目線にこの「月の松」と名付けられた松の輪っかが位置している。これはいったいどうしたことだろう?
 
お堂の中で拝んだあとに、いろいろ売っているお守りを眺めながら、係の方に質問してみた。
 
すると、この松は、2年前の12月に植えられたものだとわかった。それは2012年12月・・・私が教会でのチャリティー・コンサートの企画を抱え、ウィーンフィル・ジルヴェスターコンサートも聞きにウィーンに行った、あの12月だ。どおりで、この松は以前には見た記憶がなかったわけだ。
 
歌川広重の浮世絵で江戸名所百景に入っていた「月の松」を再現したもの、と看板からわかる。?!?!歌川広重とは、王子稲荷のときに書いた、王子に大晦日にお狐さまたちが集う絵を書いた安藤広重のことだ!あの狐の絵も、江戸名所百景に入っていたものだった。
 
さて、この清水観音堂で、今日の私は特別な感慨を持っていた。というのも、「清水の舞台から飛び降りる」とはよく言ったものだが、昨年、天に召された歌の師匠が、もうかれこれ10年近く前、私の大学院博士課程での学内リサイタルのときだったと思うが、本番前最後のレッスンで、心配なところがなくなるまでレッスンでお付き合い下さり、最後に「あとは、鼻つまんで清水だわね!」と仰ったことがあった。私は、「どうして鼻をつまむんですか?」と聞いた。答えは「そのほうがより思い切って飛び込めそうじゃない?」とのこと。一緒に笑った!!和んだ!!!おかげで無事にそのときの演奏会は終わった。そう、舞台に出て行くとき、何か消極的な「諦め」とは違う、それまで勉強したことや、細かいことへの思いを一旦、断ち切るような、ある種の積極的な思い切り、も必要なようだ。(これを論理的に説明するとしたら、きちんと勉強してあれば、心配しなくても身に付いているから、(必ず出来るかどうかはわからないが・・・ここは肝心!)、あとは無心に事に向かうのみ、いうことになるだろうか。人事を尽くして天命を待つ、の境地に近いことかもしれない。瞬間芸術では、出来るかどうかは、その都度やってみなければわからない、という不確定要素~本人にとってはそれが怖さになる~がある。フィギュア・スケートなども同じだろう。そういう「わからない」要素をそのままに受け入れて事に向かうこと、そこに「鼻つまんで清水」の心意気も大いに一役も二役もかってくれるような気がする。
 
先週、一大イベントのリサイタルを終えたばかりの私は、またこの「鼻つまんで清水」をやったばかりだから、今日、道なりにこの清水観音堂に出たときには、あ~清水の舞台~!と親しみを覚え、迷わず足を踏み入れて、その舞台に足を運んだ次第だ。
 
舞台に出る前にはいろいろなおまじないがある。
 
イタリアでは「In bocca al lupo!(狼の口に入ってしまえ!)~Crepi il lupo!(狼なんか死んでしまえ!)」と言葉を交わす。最初に悪いことをふっかけて、それを否定して返すことで、魔を避けるおまじないになっているのだろう。
 
ドイツではToi, toi, toi(トイ、トイ、トイ)と木を叩きながら言う。私も舞台に出る前に、舞台袖で木のものを探し、大抵は木の床になるが、それを叩きながら、そう言うことが多い。
 
ワイマールでペーター・シュライアーさんのマスタークラスに参加したときには、最終日の公開演奏会の前には、シュライアーさんが出演する私たち一人一人を控え室のあるフロアに探しにいらして、まだやっていない人はいないかい?と真剣に全員を隈なく探して、両肩にプッ、プッと何かを吹くようにして、お祓いをして下さった。
 
日本では劇場の舞台袖から楽屋に行くところの上方には、決まって神棚があるものである。
 
これからも演奏の機会が巡ってくるならば、「鼻つまんで清水!」は自分の度胸づけ、あるいは思い切りのために、そして種々のインターナショナルなおまじないも、時と場所に応じて、続けて行きたい。