7月のライン河辺で

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私は幸運にも、オーディションにより選抜されたマスタークラス参加者の一人として、ライン河辺のお城に1週間迎えられたことがかつてあった。コブレンツから各駅停車の列車で2,3駅のところだった。選ばれて集まった参加者は10人ほどで、それぞれ個室をあてがわれた。この写真はそのとき部屋の窓から撮影したものだ。

この講習会は州から助成を受けているマインツの音楽財団が、オーディションで選んだ参加者に、マスタークラスの会場となるライン河辺のお城での宿泊、食事のすべてを主催者が請け負うというものであった。毎日の個人レッスンなど受講料はもちろん無料、つまり奨学生だ。感謝感激雨あられ。そのかわり講習会の最後にそのお城と、オーディションのときに行ったマインツにある館のような財団のサロンでの、一般公開の有料コンサートに無償で出演することが参加者全員への条件だった。歌を学ぶ者には何とも嬉しいことだ。

私が参加したときの講師はフランスのアルト歌手ナタリー・シュトゥッツマンさん、テーマはフランス歌曲だった。マスタークラスの最後の2日にはフランス歌曲による演奏会となる。フランス語の歌となると、ドイツのお客さんには歌詞がじかにわかるわけではない。そこでナタリーさんの考えが、演奏会前日のGP後に皆に伝えられた。「みなさん、それぞれ自分の歌う歌詞の概要をお客様にまず説明して差し上げて、それから歌いましょう!」「それはいいアイディアだ、すばらしい!」

???でもここはドイツ。お客さんはドイツ人。ということは・・・、フランス語で歌う前に、ドイツ語で演説するということになる。ヒエ~。

それで、それ以降、食事で仲間が集まったとき、またバスで会場へ向かう間、ぶつぶつとつぶやいて予行演習する私のドイツ語を、大半を占めていたドイツ人参加者たちが何気なく親切に直してくれた。こういう好意には本当に頭が下がる。ありがたかった。

演奏会は体調も万全で、無事修了!講師のナタリーさんからは、歌だけでなく、スピーチも褒められた。なんでも私にはユーモアのセンスがあるのだそうだ。ホホホ。なんでも男の子が蝶になって、君(恋人)の唇の上で死んでしまいたい、なんていう歌詞だったので、ちょっぴりスピーチにも雰囲気をいれてしまったのでした!ふふふ・・・。

それから、私が別の曲のスピーチで、リラの花をフランス語のまま「リラ」と言いかけたら、必死で首を横に振って違うことを気付かせてくれた、講習会時から聴講にいらしていた見知らぬおばさまにも感謝。そう、ドイツ語ではリラのことを「Flieder」というのです。「リッ」と言いかけた私はすかさず、「フリーダー!」と言い直すことができた。

ラインの河辺に到着したとき、私は風邪を長引かせて体調が完全ではなかった。でも、毎日窓の外にこの写真の風景を眺め、ラインの水の音を聞き、水の香りのする風を呼吸しながらフランス歌曲を歌い、聴き、そこで出会った講師のナタリーさん、そして歌仲間たちと共にマスタークラスの日々を送るに連れて、私はすっかり健康を取り戻した。

毎日3食の食卓でのドイツの歌手の卵たちとの語らい、ライン河辺の散歩などなど、勉強以外の生活時間も楽しかった。また、演奏会前日、部屋で窓を開け、ラインの水面の動きや風を感じながら、部屋で暗譜していたときのような、贅沢な勉強のひと時のことも忘れる事はできない。写真を見ると、そのときの空気感と共に、それらのことが新鮮に思い起こされる。

演奏会がすべて終わった最終日の夕方、お城の各部屋でシャワーを浴びてリフレッシュした我々歌手陣は、夕方、ライン河辺のテラスで祝杯をあげた。ナタリーさんは、普通に支給される夕食メニューに追加注文して、フライドポテト大皿いっぱいを皆のビールのつまみに、と振舞ってくれた。

ところで、ライン河には結構、騒音がある。特に夜になってそれがわかる。寝ていると、ひっきりなしに通りすがりの船のエンジンの音が聞こえてくる。昼間もこの写真のように鉱物のようなものを運搬する貨物船が、ライン下りの観光船の間をぬっては通り過ぎていった。

ローレライの岩を前に、手漕ぎの舟乗りたちが誤って河に飲み込まれたような時代とは変わってしまったのだ。でも未だにライン河は運輸の点で、重要な交通の要所であることは確かだ。