ヌシャテルのおばあさん

夏の思い出より。

スイスの民宿でのバカンス中に私を待っていてくれた、ドイツ留学時代にお世話になったおばさまに、「明日、朝、7時**分の電車で、そっちに向かいますから午後15時**分には駅につきます。」そんな電話を出発前日にミュンヘン駅前でかけて、翌朝ミュンヘンから勢いよく列車でスイスへ旅立ちました。

電車で向かい合う座席に座っていたのは、ひとりの小柄なおばあさんでした。最初、会話もしなかったのですが、道中長く、ミュンヘンからどんどん南下していくと、あるところから非常に美しい景色が車窓を取り巻くようになり、「わ~、きれい」とお互いに自然にお話をするようになりました。そこまでおばあさんはずっと編み物をしていました。私は何をしていたか、あまり覚えていません。もしかしたら眠っていたかもしれません・・・。

スイスの光景にどんどん近づいていく景色を眺めながら、おしゃべりは続きました。おばあさんは、スイスの西部ヌシャテルの方。その街を知らなかった私に、スイスの鉄道定期券みたいなものについている地図を広げて見せてくれました。

お嬢さんがドイツ人の男性と結婚し、今はミュンヘンに住んでいるのだとか、お孫さんもいるので、ミュンヘンに会いに行った帰りとのことでした。ヌシャテルに帰れば、息子さん家族がやはりお孫さんと共に待っているとのこと、お幸せだな、と思いました。

やがて、会話も一段落するころ、私が乗り換える駅が近づいてきました。おばあさんは心配そうに「あなた、どこまで行くの?」と聞いてくれます。一応、順路はわきまえていたのですが、やっぱり心配そう。「とにかく、駅に降りたら表示が出ているから、それをきちんと見て、間違えないように行きなさいね」と。ホームに降り立った私におばあさんは、列車が動き出してその姿が見えなくなるまでずっと、上品に手を振ってくれていました。

こんなシーンがふと今晩、思い出されました。そう、電車の中で「ヌシャテルってどう書くんですか?」と尋ねた私に、そのおばあさんが書いてくれたメモが、最近、机のまわりを片付けたときに手帳の間から舞い降りたようで、私の机の上にちょうどあって、たった今、目に入ったのです。

今日一日の疲れもどこかへ消えてしまいました。旅行中の経験は、束の間の出来事のようであっても、このようにその旅のずっと後にも、まるで薬の効能のように作用してくれるのでした。

ところで、このおばあさんが帰っていったスイスのヌシャテルは、メンデルスゾーンの妻となったセシル・ジャンルノーのジャンルノー家がもともと出た土地でした。ジャンルノー家はその後の歴史の中で、ドイツのフランクフルトに長く住み着いた家柄となりました。それでメンデルスゾーンは、フランクフルトでこの女性に出会うことになったのです。