エアランゲンのユグノー噴水

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エアランゲンのお城は、オランジェリーなどもあった裕福なものでした。(オランジェリーとは、南国の植物を栽培する温室のことです。北方に位置するヨーロッパの国々にとって、自然ではそこに育たないはずのオレンジやその他の南方の植物のある温室を持つことは、かつて富の象徴、ステイタスでもあり、方々にオランジェリーの名を冠する施設がありました。パリのオランジェリー美術館もその一例で、昔はその場所に南国の植物を育てる温室があったといわれています。)

このエアランゲンのお城の敷地の真ん中に庭園があります。この写真はその庭園にあるユグノー噴水というものです。

エアランゲンは歴史上、フランス、カルヴァン派の新教徒であるユグノー教徒の亡命者を受け入れた街でもあります。

1598年、新教徒にある程度の権利を認めるナントの勅令が出て、フランスの新旧教徒の間に起こったユグノー戦争は終わりました。しかし、この勅令が1685年に廃止されると、多数のユグノー教徒がフランス国外の各地へ亡命しました。

当時のエアランゲン辺境伯エルンストは、彼らを受け入れることで、30年戦争で荒れ果てた街を復興しようと考え、多くのユグノー教徒がエアランゲンの街に入ってきたのでした。

この噴水の像は1705年にデザインされたもので、下から、ユグノー教徒の家族、古い神々、辺境伯エルンスト、そしててっぺんには多くの目、耳、舌を持つと言われる女神ファーマがいる、ということです。