シラーとゲーテの文通

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ワイマールの街は、歴史上、ドイツの文化の中心地であった。ゲーテやシラーが住み、音楽家ではリストもここに居を構えた。

ゲーテがワイマールにいて、シラーが今の電車で30分ほどのイェーナにいたころ、二人は毎日のように文通で手紙を交わしていた。その様子は、ふたりの書簡集に見られる。私はワイマールで思い出にこの本を買った。

かつての文豪の生のドイツ語はどんなにか難しいだろう、と思ったが、ページを開いてみると、その日常的な親しげな語り口は、驚かされるほど、とても解りやすいドイツ語だ。

たまに余裕のあるときには、就寝前に、その日の日付の手紙などを読んでみるのが楽しみだ。昨晩、12月14日シラーのゲーテ宛の手紙のところを開いてみた。そこにはこうあった。

「今日は、鼻風邪ですっかり頭が働かず、仕事のことは手につかないので、親愛なる挨拶だけで失礼します。」

といいながらこのあとに、作品についての意見交換が入っている。そして結びには

「今日はこれでさようなら。妻がくれぐれもよろしくと申しております。」

この手紙にゲーテは翌日15日付けですぐに返事を書いている。当時の郵便馬車での郵便にしても、こうして、翌日には相手のもとに届き、すぐに返事を書いている様子は、メールで親しく文通する昨今の事情に匹敵するようにさえ思われる。

心あたたまる様子である。

あるときのゲーテの手紙の末尾には、「あなたの奥さんの玉葱ケーキ(Zwiebelkuchenという)がとても美味しかったです。」などと書かれていた。ゲーテが訪問した折の、シラーの家庭の温かさなども垣間見られて、二人の交流の様子に親しみもわく。

写真はイェーナにあるシラーの家。正面の黄色い家がそうだ。この庭で、ゲーテとシラーは、まさに写真手前の大きな丸い石テーブルに向かい、様々な談話をしたという。