地震のある国に生まれて

ドイツに留学していたとき、親しく話し相手になって下さって、今でも1分13円という国際電話サービスを利用して時々私がかける電話の相手をして下さる、ドイツ人のおばさまがいる。
 
その方が、以前、私の留学中に、ボンで開催された日本文化に関する展示を、お友達と観にいってきて、その感想に私に話してくれたことには、始終、地震で大地が揺らぐ不安のある土地に、よくもあんなに繊細な文化が今まで育ってきたものだわね、というのである。これにはお返事のしようがなかった。どうにもこうにも、日本は常に地震の起こる場所に、邪馬台国にしても聖徳太子にしても、建国以来、立地してきたのではないか。(邪馬台国地震があったかどうか史実はしらない、聖徳太子の時代に地震があったのかもしらないが、しかし、奈良の法隆寺は、いまだ地震で壊れた事はないのではなかったか。記憶違いだったらスミマセン。後日、調べておきます。)歴史的なことばかりではなく、現在、現にこの私が地震国に住んでいられることに感心されることもあった。ドイツは温泉の湧く地域などでごく微小の地震があることはあるが、日本のような全国的な地震の多発はない、大地震もまずない大地の上に立地しているから、揺らぐ大地の上に日常生活を構えている、ということ自体が、特別なことに思えるのだろう。
 
そんなときの会話を、今度このような大地震になってみて思い出す。今回も地震のあと、インターネットやファックスを使っていないこのおばさまには、もちろんお電話でじかに無事を伝えた。そうしないと、いつも日本で何か大きな事故や災害があったのを新聞で見ては、心配をして手紙をくれるおばさまだからだ。
 
それにしても、今回の日本での地震津波による被災、さらには原発の不具合による被害、不安は計り知れないものだ。今まで長い歴史の中で、日本はこういう事態を何度となく乗り越えてきたのだろうか。自分の属する国ながら、これは大変なことだと思う。
 
神戸も今では復興して活気を取り戻していると聞く。東北地方沿岸部の美しい景観の街々の復興を願うと共に、何とか同様の被災が起こらないような、災害への充分な対策を盛り込んだ街の復興を望みたい。
 
アフリカのサバンナに無防備でいるわけではなくとも、同じように地震国日本に住むということは、命の危険と隣り合わせに生きている、ということでもあることを、今回のような地震に遭遇すると、自覚せざるを得ない。それとも人間は、どこに暮らしても、自然の猛威には敵わない、そもそもそういうちっぽけな存在なのだったか・・・。
 
そのちっぽけな人間が、日本だけではない、地球上の各地で、それこそおばさまの言うように、文化を継承し、育んで来た。その一端を担うのが人生という限られた時間だ。生まれてきたのだから、命ある限り、がんばらなくては!!!