東北関東大震災に際して

2011311日に起きた東北関東大震災に際し、地震津波による被災者、被災地の方々に心よりお見舞い申し上げたいと思います。また、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、いまだ安否不明のすべての方々の生存、無事を祈るばかりです。
 
このブログには留学や旅の思い出など、のどかなに綴って参りましたが、from Japanの一句をタイトルを持つ本ブログとしては、このたびの日本での400年、あるいは1000年に一度とも言われる地球の記録的大規模な大地震について、書き留めておく必要があると思いました。この地震についてはいまだ公式名称が統一されていないほど、事態はまだまだ収束していません。NHKニュースで、地震翌日より「東北関東大震災」と呼んでいたことが、関東地方の私には非常に印象的でしたが、他にメディアでは東日本大震災とも、また、気象庁発表に従って東北地方太平洋沖地震とも記されています。
 
地震そのものについて 
私はこの地震を関東地方の自宅で体験しました。今までに経験したことのない揺れ(震度5弱)でしたが、本棚の本が落ちて部屋に散乱した程度で、身に危険はなく、家屋も健全(と思われる)に保持されております。不便があったといえば、地震発生時から夜の11時前までの8時間弱の停電があったくらいでしょうか。それも大したことではありません。仙台市在住の親戚からうちの家族への電話で聞いたところによると、仙台在住の従姉は、ちょうど幼稚園に子供を迎えにいって、歩いて帰宅する途中で地震に遭遇したとのこと、家の瓦屋屋根がこぼれ落ちたり、壁にひびが入るのが目に見え、立っていられない揺れとともにその光景を目にした子供は泣き出してしまったそうです。それはそうでしょう、大人だって驚きます。宮城県沖地震はかつてにもあり、有名ですが、そのような地震経験のあるこの地の人たちにも、今回の地震は破格のものであったため、衝撃は大きく、種々の被害も心配されます。さらに、海沿いの町での前代未聞の巨大津波による壊滅的な被災には心が痛みます。テレビで地震直後から放映された各地に津波が押し寄せる様子の映像には、長らく関東暮らしとはいえ、父の出身地近くの町も映り、親戚の家々や我が家のお墓のある場所はこの映像でどの辺か、無事か、など、かたずをのんで見守りました。その後、電話のつながりにくい状態が続いていますが、昨日までに大半の親戚と連絡がつきました。現地の様子も聞こえてきます。幸い自宅が無事でそのまま自宅に住まっているものの、近所のスーパーは品切れ、ガソリンは車に入っている分だけ、断水で水は近所の公園まで汲みに行かなければならないなど、不便な様子です。物資が少しでも早く、そして広く細やかに、被災地にゆきわたることを願います。
 
輪番停電について
その後、福島第一原子力発電所の不具合により、東日本全域で電力の不足が問題となりました。これは地震津波を引き金に起こった、予期せぬ事態の一つです。14日から始まった輪番停電には私の住む地域も入っていました。初回停電予定日の前日は、次の日の何時に停電になるのか、テレビやインターネットで情報を集めました。当日の朝、住んでいる区域の自治会長さんからの連絡ということで、何世帯かごとの代表の方が、じかにご連絡にいらして下さいましたが、翌日からは、皆さんテレビやインターネットでも確認できるからなのか、とりたてて連絡が来ることはなくなりました。市役所の放送でも町内にアナウンスが流れます。
 
しかし、これも3時間だけの停電ですから、生死に関わる問題ではなく、騒ぐほどのことではありません。私はたまたま事実上、春休み、という時期で、毎日出勤、という生活ではありませんでしたが、電車で翌朝も通勤されるような方々には、日頃あたりまえになっている電気が出勤時のあわただしい時間にない、となると種々、準備も大変ではないかと想像したりします。
 
・電話機について
ちなみに停電により、現在、一般家庭に普通に出回っている「オタックス」のような電話機は、使用不可になるということがあらためて意識に上りました。私が小学生のころには普通に各家庭にあったダイヤルを回す方式の黒電話だったら、こうはならなかったはず、と思います。現在の電話機は、大抵が液晶画面などを持ち、コンセントを電源にさして使うタイプのものになっているため、停電になると、電話機全部の昨日が失われて、通話、受話も出来なくなります。(メーカーによる違いなどまでは調べておりませんが、一般的に。)非常用に各家庭に昔の黒電話を回収しないで置いておけばよかったのに、なんて思うのは私だけでしょうか、非現実的な発想でしょうか・・・。
 
・帰宅難民について
家族一人が地震発生時、都内に出向いておりましたので、携帯ですぐに電話をかけましたが、つながりにくい状態。30分後につながったときは留守電サービスでしたが、とりあえず、自宅の無事と簡単な状況を伝えるメッセージを残しました。一方、その都内の家族からは、携帯で自宅へ電話を何度もかけたらしいのですが、こちらは停電ですので、呼び出し音が鳴っているが、誰も出ない状態、とのことで、心配したようでした。こちらの携帯へも電話したそうです、やはりつながりません。でも、こちらからの着信記録は見られたようで、電話が来るということは無事であろう、という想像はついたようですが、同時に、何か怪我でもした連絡ではないかと、多少の心配もしたようです。自宅にいた私たちはというと、とりあえず、携帯にメッセージも入れたし、都内の家族は東京の友人と一緒だから、そちらへ寄せていただいたりもできただろう、などとのん気に構えておりました。結局のところ、その本人は、地震直後、友人と別れ、まず安全な場所へと駅へ向かったそうです。そのまま動き出した地下鉄でターミナル駅まで移動、夕方になり、夜になり、他に多くの人が集まっていたという地下鉄駅通路で夜を明かし、定時より約4時間遅れで発車した、地震翌日の一番列車に乗り、帰宅したのはすでにお昼でした。いわゆる帰宅難民を一晩体験したということです。特に寒い季節は大変です。これを幾晩も重ねておられる被災地の方々を思うと本当にいたたまれません。
 
原子力発電所について
福島第一原子力発電所の原子炉は地震と同時に停止した、ということですが、その後の冷却水の注入がスムーズでなく、何回も煙が立つような事態になっています。例えばドイツのインターネットニュースなどでは、毎日のように煙のあがる福島原発の写真が掲載されて、懸念されています。チェルノブイリを経験したヨーロッパですから、その恐ろしさはすでに周知のことなのです。ドイツのメルケル首相は14日午後4時にはドイツで昨秋可決されていたドイツ国原発の運転期間延長の中止(延期)を即座に発表、日本での一連の出来事から情報を得て、安全性が確認されなければ延長は許可できない、としました。ドイツの知人からのメールによると、15日、すでにバイエルン州原発の運転が停止され、同様に古い残りの6箇所についても近日中に停止されるのではないか、とのことでした。このドイツの対応の早さには感嘆させられました。ドイツでもすでに古い原子炉があり、それらの運転が延期されて活用されていたものについて、今回、福島原発でのやはり古い年数を経た原子炉での不具合発生を受けて、地震津波には殆ど無縁のドイツとはいえ、危機感を持ったのでしょう。
 
・ドイツからの便りについて
地震発生直後から、インターネットのネットワークや直接のメールで、ドイツの知人から多くのメッセージが届いています。無事だったら返信を!という安否を尋ねるものから、広く日本全体へのお見舞いの言葉まで、本当にありがたく拝読しています。福島原発の不具合のニュースの後には、危険が迫った折には、いつでもうちの家族で受け入れます、という申し出までいただきました。原発について、現在、私の住む関東地方の一地区で、すぐに避難が必要とは思われませんので、即、ドイツへ避難というのは今のところ幸い、現実的ではありませんが、こんな遠い島国日本へ、そのような暖かい受け入れのメッセージをいただくのは何と嬉しいことでしょう。同時に、揺れは大きかったものの、建物等にも殆ど損傷のない地域に住む私こそ、大きな被害を被った地域の方々の受け入れを申し出なければならない立場ではないか、と気づかされたりしました。それには家の部屋数も充分でなく、さらに原発の非常事態も加わってのスーパーなどでの品薄状態から来る、食料不足への不安があるのも正直なところです。こう考えてみると、現在は安泰なドイツからとはいえ、受け入れの申し出をして下さった方のお心の広さに改めて思い至る次第です。
 
せめて私も、自分が無事である、自分の家族が無事である、という自分に関するお返事だけではなく、広く日本全体への祈りを届けて下さっていることに対してのお礼を申し上げることも、忘れないように配慮したいと思っています。
 
まだ余震のある日々、ゆらゆらっと来るたびにヒヤッとするこの状況が、早く収まりますように。被災地に必要な物資が滞りなく、迅速に届きますように。原発の不具合がこれ以上拡大することなく収束しますように。早く東日本一帯が活気のある復興への日々を取り戻せますように。たくさんの願いを込めてこの記事を記録に残します。