学問、研究の光を絶やさずに~音楽も!~

イメージ 1今日は心理学三田会の年に一度の講座と総会・懇親会に参加した。(心理三田会とは慶応義塾大学文学部心理学専攻出身の卒業生~慶応では塾員と呼ぶ~の集い。年会費なし。卒業生は半ば自動的にこの会の会員となっている。卒業生の集いということで、教授陣も当然属しておられる。というよりも中心的メンバーといえる。一方で私のように、今ではまったく違う分野に身を置く人間にも平等に参加資格がある。ここで原点に還る、というほどに心理学を極めたわけではない私でも、たまには現在の自分の専門から離れて、日頃と違う視点から物事を考えてみる好機にもなり、大変ありがたい機会である。
 
地震から2週間が過ぎての今日。最初に、昔、福澤諭吉先生は、上野で彰義隊が戦争をしていたときにも経済学の講義を続けていた、どんな困難なときにも、学問、研究の光を絶やしてはならない、という言葉も残された、とのこと、出来ることは粛々と行うという趣旨で、今回の行事も予定通り開催にした、とのお話があった。それはそうだ。ここのところ世間で相次ぐ、演奏会をはじめ、卒業式や入学式の中止という事態に、納得の行かない思いを抱えていた私としては、今日、最初にこのお話を伺ったとき、ああ、私もやはり慶応義塾で教育を受けた人間なのだ、という思いがした。
 
慶応は不景気になると目立つ学校だ、とかつて他専攻の卒業生からジンクスを伺ったこともあるが、単なる不景気のときだけでなく、この度の東日本、いやともすると西日本にまで及ぶような日本全体に種々の影響を及ぼしている大災害、原子力発電所での危機的状況の中でも、やはり希望の光を発し続ける団体であれば、それを誇りに思う。
 
さて、今回の講座の講師は東京大学大学院教授の長谷川寿一先生。お話の中で先生ご夫妻が訳された本「人間はどこまでチンパンジーか」も紹介され、今日のタイトルは「ヒトとチンパンジーの間~ヒトはどのように特別なチンパンジーか」だった。慶応の心理学専攻には私の在学中も現在も、この種の講座はないとのこと、その意味でも今日は貴重な機会だった。
 
ホモ・サピエンスと言われる現在の人類(ヒト)は15万年前にアフリカに発祥、その後今から5万年前くらいに地球全体に広がったそうだ。進化論で有名なダーウィンは1809年生まれ(1882年没)と聞き、あら、作曲家シューマンと1歳違いの同世代!と改めて認識しなおす。この調子で、すでに学問としての心理学から離れて久しい私としては、ごく一般人の視線でこの講義を拝聴した。以下も、それ故、素人の感想文程度のメモである。
 
進化の観点では、チンパンジーにとっては、ゴリラよりもヒトのほうが近いそうだ。チンパンジーと人が決定的に違うのは、他者の心を推し量り、認知することができる、つまり同情、共感というものが存在する、ということだそうだ。何とタイムリーなお話だろう、と私はここのところを聞いた。このような災害時、被災地やその他の軽いパニック症状が連鎖的に買占めなどで起こった首都圏も含めて、皆が賢く、冷静にこの危機を乗り越えるために必要なのは、まさに、このようなヒト特有の能力ではなかろうか。
 
ほかにチンパンジーにはないが、人は子育てを皆でする、というお話があった。母親同士の連携もあれば、父親も子育てを助ける、また、おばあちゃんもたくさんの知恵を提供して子育てを助ける、などなど。このシステムがヒトに社会性を養わせた、というお話だ。特に高齢化社会を迎えている日本では、「おばあちゃん」がこのような学問的研究の中で賞賛されていることは非常に微笑ましい。子供を育てる、すなわち、子供に様々な知恵を授け、物事、行動を教えるのにも、まずは子供が何を考え、何を認識しているのかを、推し量り、認知しなければできないことだ、という意味で、先のヒト特有の能力はここでも不可欠の条件となる。
 
以上、偶然かもしれないが、私にはなかなかよい、含みのある内容に思えた。一言で言えば、おもいやり、それがヒト特有の優れた能力ということである。
 
今日はこんなことを考えた一日になった。さて、懇親会で話題になったのは、今、おうちで暖房をどうしているか、夏からの停電はどうなるのか、そもそも地震のときどこでどうしていたか、などなど、話題はまずはやはりここ2週間の日々の出来事。これから何をどうするのか、一人一人がその立脚点を明確に認識するためにも、こうして集ってざっくばらんに語り合うことも、何気ないことだが、こんなときこそ有意義であるように思えた。
 
私はといえば6月の演奏会に向けて、すでに準備を始動している。事態の収束を願いつつ、私なりに希望の光を発することができたら、と思う。希望の光と言ったって、別に力を込めて光が出ると考えているわけではない。私自身が全身全霊でこれまで取り組んできたことに、感謝しつつ、引き続き取り組むということである。私は再現芸術に従事する演奏家である。音楽作品の素晴らしさを私なりに体現することが使命である。音楽は人の心を癒し、また、生きる力を必ずや与えてくれるものである、そのことを私は自らの経験から知っている。だから、少しでも多くの方と、その音楽を分かち合う時を持ちたいと思うのである。祈りとともに。
 
写真は慶応の三田校舎の、移築された通称「まぼろしの門」を内側から眺めたところ。すでに桃色の花が鮮やかに咲いていた。毎年、この花はソメイヨシノよりも早くに華やかな春を告げてくれる。本格的な春ももうすぐそこまで来ている!