外からの支援、内からの復興

ドイツでは、3月23日にシュトゥットガルトで日本の震災被害を支援するための、在シュトゥットガルトの4つのオーケストラ合同のチャリティーコンサートが行われた。この演奏会が計画されていることを事前に知ったとき、その対応の速さに驚かされたものだった。主催はシュトゥットガルト室内オーケストラ。そこに国立歌劇場オーケストラ、他、2団体が加わっての演奏会だったという。
 
ドイツ各地や欧米のその他の都市でも、日本に向けたチャリティーコンサートが相次いだ。日本人として、感謝すべき、ありがたいことである。
 
ドイツの複数の知人から、何か出来ないか、何か行動で示したいのに、何もできないのはもどかしい、という声をいただく。そういう方々にとっては、こうしてそれぞれの土地で開かれるチャリティーコンサートのチケットを買って演奏会にいらっしゃることが、日本を応援することになる、ということで、具体的な協力につながる手立てとして有意義に受け入れられている。個人で日本に送金することには、日頃慣れていないし、送金先の確認もそう簡単ではないから、そのような点でもチャリティーコンサートの主催者側がその手間を担うということも含めて、非常に意義が認められるのである。
 
さらには、外国人演奏家の来日キャンセルが相次いだ中、この4月10日にはズービン・メータ氏が来日してタクトを取る被災地支援の第9演奏会が企画されていると聞く。これまた世界的な指揮者であるメータ氏が、自ら日本に趣いて演奏会の指揮をする、というだけで、世界的なアピール力を持つ。すごいことになった。本当にありがたいことだ。そして会場はメータ氏を歓迎すると同時に、被災地への支援の思いにあふれる日本の聴衆で満員になることだろう。
 
ただ、このような外国での、あるいは来日演奏家による支援目的のチャリティー演奏会は、「日本を援けよう」という外からの支援であり、私たち日本の中にいる者にとっては、少々、立脚点が違ってくるような気がする。つまり、私たち日本にいる者は、外からではなく、内から日本を復興していく、まさに立役者なのである。今回のような、影響が国内の広範囲に渡っているような事態のときには、なおさらである。そういったチャリティーコンサートにチケットを買って聴きに行ったら、その厚意と音楽の栄養をたくさん貰って、それを元気に日本を建て直して行くために、発揮したいものだ。
 
復興とは、被災地への思いやりを持ちつつ、それぞれの社会における役目をしっかりと果たして行くことだ。
 
今回の日本の大地震に対して、原子力発電所の問題も絡んだことも加わって、国際的な注目と支援、協力の輪が一時にして広がったことを感じた。これは、いまや地球上の国々が、相互のつながりを非常に大切に考えている時代に入っていることを示しており、それ自体、感動的なことである。
 
そこへ、共通言語である音楽は、ますます力を発揮する可能性を秘めている。あるいは、すでにこのように世界が手に手を取り合うように結束してくれたのは、これまでの長年にわたる先人たちの文化交流による成果であるようにも思える。
 
感謝しつつ、微力ながら、偉大な先人たちの後に続けるように、と願う。
 
そして、私も人の集まる場で舞台に立つことを許されている身として、国内外に関わらず、有効な呼びかけができれば、という思いが湧いてきた。それは公演でチャリティーを掲げるとか、募金箱を置くということよりももう少し、具体性のあることでありたいと思う。(なぜなら、先の記事にも書いたように、お金を送ることは、日本国内の方々には、別に演奏会を通さなくても、郵便局や銀行で即座に出来ることだからだ。それは演奏者の私も同様だ。)その都度、何が適切な呼びかけになるのかを考えながら、的確な情報を発信していきたい。具体的にどういうことになるのか、今は、まだよくわからないが、例えば、昨日、ネット上で販売された、被災地の子供たちへの文房具セットの購入の件などだ。購入すればそれが子供たちに届く、という意味で、とても有意義な支援と思えたが、残念ながら気がついたときにはすでに完売だった。これから先、気をつけていれば、私たちの身の回りには、同じ日本国内に暮らすものとしてできる、身近な支援がたくさんあるだろうと思う。
 
世界的なトップスターのような波及力は私には毛頭ないので、そもそも公演の機会に何か、というよりも、これまでに築いた古今東西、海を越える人脈の中で、個々に情報を発信していくべきなのかもしれない。いずれにしても、人の輪に感謝して、日本に暮らす者として、意義ある情報発信が出来れば幸いに思う。