告別のとき

イメージ 1今日の朝は、フィッシャー・ディースカウさん死去のニュースがあった。昨日18日にお亡くなりになったそうである。
 
うちの6匹の猫たちが私の部屋でまさにお産の最中で次々と生まれて来たとき、氏が足を複雑骨折されたためマスタークラスは中止、というファックスをワイマール音大から受け取ったのは、私がようやく、そして、初めてドイツに出かけてみようとした1999年6月のことだった。かれこれ13年前のことになる。その後、お元気に回復され、シュトゥットガルト留学中には、街の銀行のホールで開かれたマスタークラスを見学に行き、日本の恩師が訳した氏の本を持って行って、サインをいただいたりしたものだ。その頃は、朗読者として演奏会に立ち会われる姿にも出会うことができた。
 
私が留学を終えて、日本に帰国しようというとき、お世話になったドイツ人のおばちゃまから、一冊の本をいただいた。それはディースカウ氏の自伝で2000年に出たものだった。帰国してしばらくして、それを紐解いたとき、序文のなかで、この自伝を著すことになった発端は、その複雑骨折による入院であった、と知ったときには驚いたものだ。(前にもこのブログに書いたかもしれない。)入院中、安静を強いられ、そのうちにいろいろな思い出が頭の中に浮かぶようになり、いっそ自伝にしてしまおう!という運びになったらしい。何でも生産性に変えてしまう、さすがは世界をまたにかけた20世紀の大歌手であられた。
 
私には、ドイツへ自分の足で行って、自分の目と耳と鼻と肌と・・・とにかく自分でじかにドイツの文化に触れたい、と行動を起こすきっかけとなったのがディースカウ氏のマスタークラスであった。それは上記のとおり氏の怪我により実現しなかったが、その夏、私は渡欧し、予定していたそれ以外のアポイントを果たし、そこから私の長いドイツとのお付き合いが始まった。
 
だから、氏が昇天されたニュースは、何か隔世の感をもって胸に迫ってきた。ご冥福をお祈りしよう。
 
人の世は、常に別れのときがやって来る。先人との別れ、そして誰にでもいつかこの世との別れのときが訪れる。
 
悲しいニュースはそこそこにして、今日もバラの姿を!
さすがに咲き始めてからもう10日以上たつので、バラさんたちともお別れの時が近づいてきたようだ。お花はまだついているが、だんだんに終焉のときが迫っていることがわかる。それにしても本当に、鉢植えとなって根付くと、バラはこんなにも長い間、いろいろな風情で花を咲かせ続けているものなのかと、驚かされる。
 
ワーグナーローズと名付けながら、考えてみたら、今回のお花が咲いてから、まだワーグナーをバラさんにお聞かせしていなかったので、今日は、バラさんとの出会いの日の「ワルキューレ」から自分の出番のところと、それから、新たにヴェーゼンドンク歌曲集を一通り練習して、バラさんへのはなむけとなればと思った。またいつものように、数ヶ月、あるいは一年眠ったのちには、花を咲かせてくれるに違いない。一時のお別れに向けて、バラさんにまだ精気が宿っているうちに間に合ってよかった。バラさん、待っていてくれて、ありがとう!また次も美しく咲いて下さい!!
 
来年はワーグナー生誕200年。