おんぶする猫

1月23日、昨年審査を終えた博士論文を、義務である国会図書館提出用の製本をすべく、馴染みのあった三田の製本業者に持ち込み、24日水戸に祖母のベットを訪ね、25日上野の学校に出勤するも全日の悪寒の後、夕方には発熱、職場では知恵熱?!と仰って頂いたものの、結局インフルエンザA型と診断され、初めてタミフルというインフルエンザ用特効薬を飲む。それでも数日は安静を強いられ、29日のカルメンを歌う予定だった友人の結婚式および披露宴を欠席、30日朝には99歳で祖母が大往生を遂げた。31日製本業者から出来上がった論文を引き取り、雨模様の中、三田から上野へこの論文(A4版各部2冊を5部、つまり300ページ弱のものを10部という大荷物)を運び、無事に提出。1日祖母の里、水戸へと向かい、お通夜の前、自宅のふとんに眠るように横たわる祖母としばし心の対話をし、入棺前の身支度を手伝った。お通夜には大勢の方がいらして下さったので、お茶を出したりのおもてなしのお手伝い。2日に告別式が終わり、夜に家族で帰宅した。

救いだったのは、祖母は99歳、もうすぐ100歳になろうという、いわば大往生だったこと。だから一昨年、いとこの最愛の連れ合いが若くして病気で亡くなったときのような悲痛さはなかった。そうはいっても、100年もの年月を生きた1人の人がこの世を去る、ということの重みは大変なものだ。

こんなわけで我が家の猫にかまっている時間もなかった。今日あたり、うちでのんびりしている私に猫たちが甘えてくる。おんぶの好きな三毛猫チビは、階段の上で私を待ち構えていて、私が階段をのぼっていくと背中にのってくる。(気をつけないと、背中を押されたと思って落ちる危険あり。笑。)

ふりかえってみると、論文の製本業者への持込を前に最後の原稿整理作業に追われた1月21日以来、そのままインフルエンザ、祖母のことなどが相次ぎ、もうまるまる2週間歌うことができなかった・・・。日頃毎日のように歌う時間のある幸せ、歌うことの出来る健康に、こうなってみると改めてありがたみを感じる。体調も来週には万全に戻ると思う。また何があっても毎日歌う日々、というのを続けていきたい。

祖母は小原流の華道と江戸千家の茶道を究め、水戸で茨城県支部長という要職も務めてきた、日本の伝統文化を守り、現代に紹介することに貢献した人だった。私もちょっとやってみようと祖母の家の茶室で、祖母と一緒にお手前をやってみたことがあった。でもあんまりしっくりしないのをみて、祖母は「あんたは、歌ってな!」と言ったものだった。いつだったか、我が家へ遊びに来ている祖母のいる居間で、駆け出しの音大生だった私が、シューベルトを練習していた。そこで一言、「美空ひばりのほうがまだ上手いね。」そんなこともあった。今は少しはましになったと思うのだけれども・・・。最近は折にふれ、演奏会で歌った録音をミニディスクに入れておいて、ベッドの祖母の耳にヘッドホンをあてて、少しばかりの楽しみを提供してきた。

分野は違うけれども芸の道における一途な姿勢というものには共通性があるような気がする。99歳の天寿を全うし、交通事故がきっかけで残念ながら寝たきりになってしまった90歳の頃までは常に芸術と共に歩み続けた祖母のように、私もはしくれながら、一歩一歩地道に芸の道を歩んでいきたいと思う。祖母も今頃は画家であった、先に逝った祖父と天国で再会しているだろうか。私のこの4月に控えた演奏会のパンフレットも棺に入れて、お土産に持って行ってもらった。