明治に遡る学校の歴史

12月、母校女子学院の同窓生の集いで、45分間のクリスマスをテーマにした音楽の時間を任され、ドレスデンのイェームリヒ社製パイプオルガンと一緒に歌います。

女子学院の歴史は、1870(明治3)年、築地居留地に最初の洋館として建てられたA六番館に設立されたキリスト教主義の「A六番女学校」(のち原女学校)、1874年同じ築地に建てられた「B六番女学校」(のち新栄女学校)、1876年に設立された「桜井女学校」の3つの女学校に始まりました。その後、発展、統合を経て、1890年、校名は「女子学院」、矢島楫子が初代院長となり、現在の千代田区1番町に校舎が新築されました。中学・高校一貫教育の「女子学院」として同地に存続、現在に至っています。

女子学院の初代院長となった矢島楫子は1893年日本キリスト教婦人会「矯風会」の初代会頭にもなった人です。矯風会は現存する最古の婦人団体で、新宿区百人町にあります。現在、同じ建物には東京交響楽団ラシックスペースのスタジオもあり、私も昨年、オペラの稽古のため、そのスタジオに随分通ったものでした。