夢の不思議

私はよく夢を見ます。

先日、ウルトラマンの監督として有名で、またその後、映画監督やオペラの演出で活躍された実相寺昭雄さんが大変惜しまれながらも逝去されました。私は実相寺先生が大学院のオペラ「魔笛」の演出をされたとき、たまたま童子3という役でキャストに入っていてお世話になりました。その後、確か留学から帰った後、何かの公演のロビーでばったりお会いした折には、「きみ、童子だよねえ。今日は出ないの?」とお声をかけて下さった、やさしい先生でした。

思えばあの舞台で、童子が度々高いところから吊られて登場するブランコは、3人がちょうど並んで座れるだけの横長ベンチのような簡素なもので、足元に柵のような板一枚でふたがあるのみ、命綱や補助ベルトもない、ごく自然な状態のままでした。これも実相寺先生の「やっぱり、自然でないとね!」というポリシーの反映でした。そういう意味でもスリルがあったので、忘れられない舞台です。遅れそうになって開演前ぎりぎりに着いたので3階席にしか入れてもらえなかった、というよく存じ上げたお客様が、ブランコに乗って高いところに童子に扮する私が現れたので、思いがけずちょうど目の前でよく見えた、と喜んで下さったりもしました。恐竜のぬいぐるみをかぶった人たちが、出番が終わると舞台裏で、お腹のところに付いている長~いチャックを開いて「ふー、暑かったあ~」とくつろいでいらしたのも、実相寺先生の演出ならでは、円谷プロ関係ならではの光景だったんでしょう。小さい頃、飛行機の中でウルトラマンの歌を私が大声で歌い出すと、ついに、他の子も一緒に歌いだした、という話も聞くので、自分の記憶にあまりないところで、すでに私はウルトラマンのファンだったようです。その後、オペラの小さな役の一人として、ウルトラマンに関係する方々に直接巡り会ったのですから、人生とは不思議なものです。

そういう思い出がありましたので、実相寺先生のお通夜に参列しました。なんでも麟祥院からたち寺という風流なところが会場でした。列に並んで待っているとき、綺麗なもみじの枝が頭の上にかざされたように見上げられました。お通夜に行ったような気のしない、不思議な美しい夕べ、として私の記憶に刻まれました。

その夜、テレビでヴィスコンティの映画を放映していました。映像の美しさ、静かだけれど迫真に迫る俳優さんたちの演技に釘付けになり、未明まで見てしまいました。それから眠ってみた夢には、何とロッシーニが出てきました。イタリア語の映画の後だったので、夢もイタリア語、私はロッシーニの主催する講習会みたいなものに参加していて、直接ロッシーニともお話しているんです。

眠っている間にもまるで映画のように夢を見られる、という人の脳のメカニズムは幸せなものだなあ、と我ながら思いました。

でも、起きたら仕事に勉強、命ある限り、日々を謙虚に、勤勉に、過ごしたいものです。