ベートーヴェン第九のメッセージ

8月31日、真夏のベートーヴェン第九演奏会が終わった。そして翌日の日常的な仕事が一つ終わってひと段落し2日後には、風邪をひいた。ここのところ2年くらいは風邪をひいていなかったように思う。ついに「**は風邪をひかない」の域に達したかと思っていたけれど、幸か不幸か、どうもまだだったようだ。

第九が終わったおかげで、まるでここで一年が切り替わるような気分になった。ヨーロッパでは九月はじまりの手帳もあって、最近日本の文具店にも輸入されたものが置いてあったりもするから、ますますまんざらでもない。というわけで、私はこの仮年末は風邪の療養と称して、しばらくのんびりしていようと思う。秋からの再出発に備えて。

さて、今回の第九演奏会に参加しながら、第九がなぜ、そもそも年末にあんなにたくさん演奏されるのかという問いが、頭にあった。一つには、最後に大合唱で終わるこの作品は非常に祝祭的で、演奏者にとっても聴衆にとっても一年の締め括りとして、それだけでふさわしい、ということが考えられる。でもほかには?

今回の演奏会に向けて練習していたとき、有名な第九の合唱のメロディーが、オーケストラで最初に静かに鳴り出すところで、ふと、惜別の念、つまり、別れを惜しむ、名残を惜しむような感じを受けた。

この曲を作曲し、初演を指揮した49歳のベートーヴェンはすでに耳がほとんど聞こえず、満場の聴衆の喝采にも、指揮台のすぐそばに立っていたアルト歌手に促されるまで、気がつかなかったほどだった、といわれている。(この逸話は私の中学校のときの愛読書で、クラスの朗読大会でも読んだ、ひのまどかさん作「運命は扉をたたく」というリブリオ出版の本にも出ている。)

そんな状態のベートーヴェンには、自分の余生もそう長くはないのではないか、という思いもあっただろう。苦労をしたけれども、それでも、誰なのか特定がいまだに複数説ある「永遠の不滅の恋人」にも出会った、この世での生に対する愛着と、惜別の念が沢山あったに違いない。そのフレーズは、あんなに苦労をしたはずのベートーヴェンが、それにも関わらず、人生がこんなにも美しいものだった、といわんばかりで、この上なく美しく響く。それが終盤の歓喜の大合唱として終結するところに、この第4楽章の振幅の大きさと感動があるように思えた。

名残を惜しむという感性も、この交響曲が年末に好んで取り上げられる理由になっているかもしれない、と今回、新たに思い至った。これは私の一個人的な解釈にすぎないけれど、メモしておこうと思った。

一所に集結した共演者たちもそれぞれの場に帰って行った。共演者、そして大勢の聴衆の皆さんに感謝。

古今東西、こんなに万人に愛されている名曲もないだろう。