歩いて30分はすぐ近く

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東京にいると徒歩15分というのがせいぜい最大限の徒歩許容時間で、それ以上だと、何かしら最寄り駅を探して交通機関を利用し、もっと近くまで行ってから少しだけ歩く、というのがまあ普通のような気がする。

ある夏休み、オーストリアチロル地方でのマスタークラスに参加したときのこと。ミュンヘンから列車で南下してオーストリアに入り、聞いたこともなかったチロル地方の初めての駅に降り立った。ヨーロッパのマスタークラスは往々にして、風光明媚なバカンス地で開かれるから、それだけに、そこまでたどり着くだけでも結構大変だ。

駅からは何もわからないので、とにかくタクシーで、主催者が探してくれた民宿に向かう。何やらかわいらしい家の前でおろされた。

呼び鈴を鳴らすとそこの家のおばちゃんが出てきた。すぐに部屋に案内してくれた。さて、まずは街の中心に出てみなくてはと思った。「街まではどうやって行くんでしょう?」と聞いてみた。答えはすごく簡単だった。そこの道に出ると、教会の塔が見えるから、それに向かってどんどん歩いていけば広場にでますよ、と。「近いんですか?」と聞くと、「歩いてすぐですよ。」と微笑みとともにお返事。ついでに「何分くらい?」と聞くと、「そうですね、30分もあればつきますよ。」

・・・・・徒歩30分?歩いてすぐ???

この感覚は東京での生活ではあまり得られないものだ。もちろん緑の野辺に、のどかな地元の幼稚園、有名なイン河からそそぐ小川の流れなど、それはそれは贅沢な景色の中を歩くのだから、もちろん苦にはならないが、楽譜とか、それだけ歩くにはスニーカーだから、歌うときに履きかえるための靴も持ち、飲み物も持って、結構な荷物を毎日携えてハイキングすることになった。

しかし、歩くというのはよいものだ。作曲家ブラームスは徒歩旅行が好きで、よく若い頃ライン河沿いを歩いたというし、詩人アイヒェンドルフにもそういったテーマの詩がよくある。

歩くということを生活に取り入れるには、ちょっとした発想の転換が必要だ。確かに私もその経験をする前からすでに東京で、地図を見て、あえて一番の最寄り駅ではない、別な駅へ向かって歩いてみたりして楽しむことはあった。これからもそんな楽しみも広げてみようと思う。空気がきれいでないのが難点ではあるが・・・。

歩くエネルギーを節約しなければ、とてもこなせないような多忙な生活というのは、本当は人間らしくないかもしれない。でも、そう考えて、多少でも交通機関を利用せざるを得ないのが現代人の現実でもある。せめて休みの日くらいは、気分も晴れやかに歩くことを楽しんでみたいものだ。