ライプツィヒのゲーテ像

イメージ 1ライプツィヒの市庁舎の裏手にある中庭のようなナッシュマルクトという広場には、ゲーテ像がある。とても若々しい姿のゲーテだ。フランクフルト生まれのゲーテは、ライプツィヒ大学に学ぶためにライプツィヒにやってきた.。この後、ヨーロッパ中に名を馳せることになる若き日のゲーテの颯爽たる意気込みが伝わってくるようだ。
 
ライプツィヒはバッハの活躍に始まり、シューマンメンデルスゾーンライプツィヒ生まれのワーグナー、その他たくさんの音楽家、芸術家が関わってきた街である。そう、かのマーラーも若き日に、2年に満たない期間であったが、アルトゥール・ニキシュのアシスタントとしてライプツィヒ市立劇場の指揮者を務め、多くの公演を指揮した。当時、すでに著名な指揮者であったニキシュ派との間の確執、解釈の相違などによる衝突から、激怒したマーラーは辞表を提出し、ライプツィヒ生活には残念ながら終止符が打たれた。しかし、このマーラーは同じ年の秋にはオーストリア・ハンガリー帝国の首都ブダペストハンガリー歌劇場音楽監督に就任、以降、ハンブルク市立劇場、ウィーン宮廷歌劇場、ウィーン・フィル等の指揮者を歴任し、ヨーロッパ中に名を知られる存在となって行った。
 
2011年はマーラーの没後100年にあたる。100年とは長い年月であるが、それでも随分と現代の私たちの時代に近づいた感じがする。ちょっと手を伸ばせば届きそうな感覚だ。クラシック音楽の愉しみは、そんなところにもあるのかもしれない。