信州松本の風

イメージ 1松本は盆地で、夏は暑く、冬は寒い、と昔、地理の時間に習った。それでも、やはり駅に降り立ってみると、どこか高原に似たさわやかな信州の風を感じる。
 
今回、私の人生初めての松本への旅の発端は、サイトウキネンフェスティヴァル訪問だった。もう歴史の長いこの音楽祭は今年、第20回とプログラム冊子にもあった。街のどの通りからも遠くに青い山並みが見える風情は、どこかヨーロッパの風景に共通する雰囲気を湛えている。
 
私が観ることのできた演目は、23日松本市民芸術館で行われた、バルトーク作曲になるバレエ「中国の不思議な役人」・オペラ「青ひげ公の城」の休憩を挟んでの、いわば二本立て公演と、24日同じく松本市民芸術館の実験劇場で行われた、ストラヴィンスキー作曲の「兵士の物語」。
 
バレエ作品の終盤、オーケストラピットでの合唱には、旧知の長野県在住の知人が、合唱団募集の公募に応募して採用になり、出演していることがわかり感動。一般の社会人として生活しながら、アマチュア合唱団で活動を続けてきて、このような晴れの舞台出演の好機に遭遇した知人の幸運は、我が事のように嬉しかった。
 
オペラで表題役の青ひげ公を歌ったマティアス・ゲルネさんを聞くのは、2007年夏、オーストリア、シュヴァルツェンベルクのシューベルティアーデ音楽祭でのリーダーアーベント以来だ。リートが歌えるオペラ歌手として、貴重な存在だ。繊細な美声を大らかに披露して、このオペラ、青ひげ公という人物の、不気味な神秘性が会場いっぱいに満たされた。
 
21日のこのオペラの初日で感動的な完全復帰を果たされた小澤征爾さんが、ドクターストップで、23日は残念ながら降板され、アシスタントとして長くこの音楽祭に関わってこられて、欧米の歌劇場でも指揮者として活躍しているパリ生まれのピエール・ヴァレーさんが代わりにタクトをとった。それでも音楽には充分に、初日の舞台で繰り広げられたであろう小澤さんのワールドが克明に描き出された様子で、演奏はすばらしかった。小澤さんのご快復を願おう。
 
日本の地方都市に、このような音楽祭を立ち上げて、ここまで続けてこられた関係者の尽力は大変なものだろう。そして、「運命」とか「田園」ばかりでない、クラシック音楽の幅広い作品を取り上げ、その魅力を存分に伝えるという大きな任務をこの音楽祭は立派に果たしているように、今年の分厚い本のようなプログラム冊子を見ながら思った。
 
話題は本題に戻るが、バルトークストラヴィンスキーの、オペラ、バレー、語り(演劇)など、物語を伴う、斬新な作品を、作品の核心を捉えた演出で観ることが出来たのもよかった。そもそも、この時代の作曲家の作品になると、現代の我々の感性にそもそも近づいているのか、現代演出であることの違和感もなく、自然に受け入れられる。
 
特にバルトークの日の演出を担当された新潟リュートピアの舞踏部門の芸術監督、金森 穣さんの演出はとてもよかった。前半のバレエ作品はもちろんのこと、後半のオペラにおいて、たとえばヒロインのユーディットがドアをあけるシーンも、本当に自分でドアをあけなくても、抽象的でシンプルな彼女の仕草と舞台上で大道具のレベルで起こる変化によって、ドアが開いた瞬間を観客は感じることができる。もっとも、その変化を音で奏でている音楽の役割は、目には見えないが考えてみれば一番大きい。青ひげ公の幾重にもなった心の扉としてのドアをあけるのだから、演技や舞台は視覚的に具体的でなくて当然ともいえる。
 
オーソドックスだが、舞踏家ならではの、舞台全体の空間の感覚に裏打ちされた、スケールの大きな、発想の転換が起こったような演出だ。踊りで、身体の動きで人間の心を表現する舞踏の要素を、オペラ歌手以外に、舞踏専門の人員を背後に影の存在として見せたのは面白い。
 
歌うときは正面、あるいは斜めに客席を向いて、という時代から、今度は、舞台でどの方向に向かって歌うこともある、という、オペラ歌手が舞台上で演劇的、いやそれ以上に、観客のいる方向を気にせずに、まるで日常の普通の動きをするような、ある意味、リアルな演出が横行している昨今、このような手法は新たな突破口を示しているようにも思えた。
 
そして、翌日のストラヴィンスキーの「兵士の物語」(演出:ロラン・レヴィ)は、「実験劇場」と名のつけられた、内装が真っ黒の、演劇、ダンス小屋的な雰囲気のホールで行われた。ここには室内楽奏者たちが演技に参加しているような様子で、その中に、数年前の大学での生徒を見つけ、このような舞台のいわば「現場」での活躍をとても嬉しく思った。ミュージカルで演技を鍛え上げた俳優で歌手の石丸幹二さんの切れのよい、的確な表情がきっちりと定まる瞬間のある演技、プリンセス役の麻生花帆さんの舞った、衣装の袖口の色の見え方まで考えられた振り付けによる、妖艶な日本舞踊のような踊りは美しかった。これからご覧になる方もあるだろうから、詳細は書かないけれど、松本市民芸術館という劇場の造りを存分に生かした、あっと驚く趣向もあって楽しめた。劇場というのは、夢の詰まった箱、本当に愉しいものだ。
 
総じて、旧来の風習を乗り越え、種々の分野の俊英(といっても年齢が若いとは限らない)が集って舞台を作り上げている雰囲気が伝わってきて、それが何より感動的だった。
 
写真は旧開智学校校舎。重要文化財明治6年1873年)に開校した日本最古の小学校の一つとして知られている。文明開化の時代から現代のこのフェスティヴァルまで、先取の精神がこの松本の地に確かに受け継がれているような気がして、感慨深かった。