ウィーンの屋根の上

イメージ 1ここはどこ?パラボラアンテナに教会の塔も見えます。そうなんです、屋上にいるのです。
 
当初、ジルヴェスター・コンサートのあとは、翌日元旦の朝にウィーンを出て日本に向かう旅程だった私は、宿におとなしく帰って、荷造りをしたらそのままテレビでも見ながら(ドイツ語圏の宿に行って、テレビがあると、ドイツ語放送がニュースにしてもドラマにしても見られるのが楽しくてしょうがない私!)ひとりゆっくり休もうかと思っていました。でも、シュトゥットガルト留学中にバッハ週間のマスタークラスで、アルトのソロのクラスに共に参加して友達になった、10年来の友人であるウィーン人女性とその旦那さんが、コンサートのあとはうちのアパートのご近所さんが集まってのジルヴェスター・パーティーにおいでよ、と誘ってくれていたので、この日は自分の家に帰るようなくつろいだ気分で楽友協会ホールから彼らのアパートに向かいました。
 
広いお部屋を持っているご近所さんのフロアが会場となり、広いお台所には皆さんが持ち寄った手料理がずらり。日本のおせちさながらに、じゃがいもとハムをグラーシュ風に煮込んだお鍋やら、ラザニアやら、小さなレンズ豆の温野菜サラダやら(この豆は年越しに食べるものなのだそう、年越し蕎麦のような感覚です)、ハムにチーズ、スナック類に、お飲み物、とずらりと並んでいました。私はというと、昼間、ナッシュマルクトで見つけたブラジル産の大きなパパイアを一つ、コンサートに行く前に近くでここの友人に落ち合って、受け取ってもらってあったので、そのパパイアもど~ん、と台の上にのせられていました。さばくのは、私、ということになっていましたので(多分、普通のオーストリア人はパパイアをどう切るのか知らないでしょう)、さっそく切ろうかと思ったら、それはみんなで花火を見たあとでいいよ、ということになりました。つまり、ここでしばし語らったり、飲み食いしているうちに、23時半くらいになるとウィーンの街のあちこちで花火が上がり出すのです。それは1時頃まで続き、あとはだんだん少なくなってゆく、という感じです。
 
そんな花火の音も本格的になってきた23時45分くらいには、みんながテラスに出だしました。そのうちに、屋根に登るよ、ということになって、私もジルヴェスター帰りのベルベットのドレスのまま、コートを羽織って、はしごを登りました!!!その屋根(屋上)での見晴らしがこの写真なのであります。
 
そして花火は四方八方で賑やかになっていき、年越しの瞬間となりました。
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考えてみれば、日本では紅白歌合戦が終わって、除夜の鐘になる時間くらいから、今回の私はウィーンの屋根に登って年を越した、ということになります。人生、面白いこともあるものですね。これもこの旧友がお宅に呼んでくれたおかげでした。
 
向こうがシュテファン寺院、こちら(写真1枚目)が彼ら夫婦の属しているMaria am Gestade教会、あっちが市庁舎、とまあ、360度のウィーンの夜景に花火が交錯していました。ちなみに、市庁舎前の花火以外は、すべて非公式なプライベートな打ち上げだそうです。本当はウィーン市街区では花火など火気のイベントをするには許可を得なければいけないそうですが、法律はあっても破るもの、というのがオーストリア風なのだとか・・・笑・・・
 
ドイツ留学中にも、シュトゥットガルトでのジルヴェスターの花火の音を2回、最後の年はフィレンツェの花火の音を聞いて年を越したことなど、思い出しました。日本では真夏の風物の花火が、なぜかヨーロッパではジルヴェスターに共通して打ち上げられます。博打のような音もまじりますし、これは現代になってからの習慣なのだとは思いますが、除夜の鐘、初詣の行列という静かで厳かな雰囲気に慣れている者にとっては、少々奇異な感じもします。とはいえ、こうして存分にウィーンの年越し花火を満喫させていただき、今回のウィーンへの弾丸トラベラー的旅の最終夜のイベントも終わりました。
 
このあと、パパイアもおいしくいただき、シャンパンもいただいたかな?・・・そして、お話もようやく区切りがついたところで宿に帰りました。朝起きが苦手な私は、もしもぎりぎりに目覚めて荷造りがチェックアウトや出発時刻に間に合わなかったら大変(そういう夢を見たことがあります・・・笑・・・)と思い、起きているうちに荷造りを済ませ、ようやく床に着きました。これで後は日本に帰るだけ・・・zzzzz・・・