16歳だった猫たちのこと

このブログにも以前に書いたことがあったと思う。1999年、私の部屋の勉強机の下で、助けてあげた迷い猫ののが4匹の子供を生んだ。生まれた順に、チビ(雌)、茶々丸(雄)、花子(雌)、コロ(雌)と名付けた。この6月でそれから17年となった。16年目の昨年夏、花子が逝った。そして今年の冬、茶々丸が逝った。さらに先月、リサイタルの4日前にコロが旅立った。残ったチビは元気でひとり17歳の誕生日を今月通過した。以前に16歳まで生きた猫を飼ったことがあるが、17歳はそんな飼い主の私たち家族にも未踏の領域の長生きで、日々、気持ちも新たになる。
 
コロは昨年夏に花子が逝ったあと、乳腺腫瘍が見つかった。抱っこをしていた家族が木苺くらいの小さな突起に気がついて獣医さんに見せたところ、おそらくこの病気だろう、との診断だった。そして、猫の場合、転移が早いので、ふつうは複数ある片側、あるいは両側の乳房を全摘する、というのだ。ただし、16歳では手術どころか、全身麻酔にさえ懸念がある年齢だ。これで家族会議。結果、お腹の切り貼りはしない方向で臨むと覚悟を決めた。それからコロは8ヶ月生きてくれた。最後の1ヶ月は看病にも気を配った。そして、どの猫の最後も常なることながら、最後の1,2週間は食も細ってくるので、これなら食べるかな、あれなら食べるかな、と趣向をこらしてチャレンジが続き、一口食べた!、お水を飲んだ!とそれだけで一喜一憂するような日々。でも最期はやってきた。私のリサイタルは30日に迫っていたが、コロは26日朝に起きてみるとすでに他界し、硬くなっていた・・・前の晩は12時半までは付き添っていたのに・・・。でも、ちょうどリサイタル前の一週間は準備に専念するため、他の予定を入れていなかったので、奇しくもそれがコロとの最後の時間となった。昨年の花子のときも、同じ部屋にいたのに、ちょっとの間に息をひきとっていて、その瞬間に付き添えなかった。今年の冬の茶々丸の時は私がずっと手を握っていて、後であれが最後の息だった、とわかるまでそうしていたことを思い出す。今日はその茶々丸の月命日だ。
 
雨戸を締めようと暗くなってから玄関のドアを開けて外に出て、今日は曇りだから火星は見えないなあ、と空を見上げたりした次の瞬間、門のすぐ向こう側に猫がたたずんでいた。「あれ?猫ちゃんなの?どこの猫ちゃん?」と声をかけながら少し近づいてみたが、すぐに逃げて行ってしまった。ひょっとすると茶々丸が姿をかりて帰って来ていたのかもしれない、などとすぐに思ってしまうものだ。
 
私が初めてドイツの地を踏もうとしていた夏休みの前に生まれた猫たちがこうしてそれから16年生き、そして最後の一匹チビ丸は17年目を共に歩んでくれている。長期でドイツに留学した2年半以外は基本的にずっと一緒にいたことになる。一人で静かに暮らしていた留学1年目の夏に、祖母の健康状態が気にかかり一時帰国したが、玄関を開けて家に入った時、久しぶりの複数の猫のうごめく空間が、ある種の違和感をもって非常にめまぐるしく感じられたことも忘れられない・・・そう、動物を飼うのはそう簡単なことではありません(笑)。もちろん感謝と共に!