モーツァルトの腕時計

次回リサイタルに向け、歌の練習と並行して、取り上げる作曲家や曲の成立過程について調べる日々になってきた。辞典でモーツァルトの項目を読み、彼の人生の時系列に沿った出来事を読みながら、幼い時から本当に旅の多い人生を送っていたのだ、と改めて思わされた。それはひとえに息子の才能に気づいていた父レオポルトが、息子の才能を広く世に紹介したいと思った情熱によるが、彼らを「物乞いのよう」と非難する声もあったとか、芸術家、特に、形にして残すことのできない「演奏」家への理解は当時でもそのように難があったのか、と慮ると同時に、慰められるような気持ちにもなる。
 
後年、モーツァルトが成人した後、自作の曲を披露する演奏会は、彼自身が主催し、チケットも「モーツァルトのコンサート」と印字された名刺くらいの紙で自分で用意していたという、そのチケットを、資料展で見たこともある。
 
いろいろな意味で親しみを感じさせられるモーツァルトだ。
 
ところで、私にはモーツァルトには実はほかにも奇妙な思い出がある。
というのも、彼の生誕250年の年、私はザルツブルクを旅人として友人と訪れていた。これは私のはじめてのヨーロッパ旅行の旅程の一部だった。そのとき、ザルツブルクの土産物店で、モーツァルトのシルエットと生誕250年の文字がデザインされた腕時計を購入し、その後の訪問地ウィーンから日本への帰途につく折、この腕時計を、もう一つスウォッチの腕時計と一緒にスーツケースに入れて、委託荷物にして航空会社に託した。
 
これが成田に到着してみると、私のトランクは、鍵が壊された状態で出てきた。開けてみると!中は泥棒が入ったあとのようにグチャグチャ、そして、何と、他の物は例えばオペラ鑑賞時用などに持参したハンドバッグがその中でペシャンコに潰れていたり、という被害はあったが、なくなったものはなく、そのもう一つのスウォッチの腕時計も残存していた。ところが!!!!!モーツァルトの腕時計だけは無くなっていた。5000円くらいのほんのお土産物の時計だったけれど、この時の衝撃は忘れられない。何というピンポイントな泥棒・・・
 
というわけで、モーツァルトについて改めて読みながら、そんな思い出が昨日のことのように蘇っている。いつかまたザルツブルクに行ってみたい、と思っていながら、それ以来、彼の地を踏んでいない。ドイツ留学中にもザルツブルクには足を運ぶことはなかった。どこか私の中でトラウマになったのか?いえいえ、そんなわけではありません。機会があれば是非、訪れてみたい素敵な街です。
 
ですから、その後、知人からザルツブルク土産にモーツァルトチョコなど頂く機会などあると、本当にときめいてしまうのでした・・・