森鴎外とベルリン

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今日、グルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」に、森鴎外が文語体の日本語で訳詞を付けたオペラ「オルフェウス」が初演された。

古典派グルックの崇高な様式美を持つ音楽と、森鴎外の格調高いだけでなく、あふれるような抒情性を持つ流麗で美しい訳詞とが不思議に合っていて、得もいわれぬ美しい時を味わった。

文語体は私の世代にとっては外国語と同じような感覚だ。すなわち、高校時代に文法から勉強して、源氏物語を少なくとも抜粋では読んだりできるようになるまで勉強した言語である。今日の上演では字幕も出ていたので、あ、これは過去を表す助動詞の「つ」だ!、などと昔、勉強したことを思い出したりもしながら楽しんだ。

イタリア語の響きだったら音楽の輪郭を描く助けになるが、柔らかな性質を持つ日本語ではどうしても無理だ、と思われるところも何箇所かあった。日本語は平坦な中に響きの美しさのある言語だけに、それは避けられないことだ。でもそんなことはささいなことで、本当に夢の中のような時を、鴎外とグルックの世界で過ごす事ができた。休憩時間や終演後もポーっとしてしまって、社交場といわれるオペラのロビーでも今日はあまり人と話す気分にならなかった。鴎外に酔ったか、グルックに酔ったか、いや、これは両方の相乗作用だったと思う。

ときに、私がベルリンに滞在した折、地図に鴎外記念館というのを見た。ガイドブックには鴎外がベルリン留学中に滞在した下宿だったところ、と書いてある。私はベルリンには2週間滞在したけれど、毎日バッハの稽古とシューマンの自筆譜との対面にあけくれて、滞在先から近かったにもかかわらず、鴎外さんのお住まいまで行く事ができなかった。また訪れることがあったら是非に、と思う。

こうして現在の日常の出来事からベルリンでの記憶が紐解かれていく。
私が滞在したのはSバーンのオラーニエンブルガー・シュトラーセという駅のそばだった。写真はその駅を背にして撮ったものだ。11月初め、数日前の台風のような嵐(オルカーンという)で、木々の葉がすべて吹き飛んでしまい、それを機に、外観も、また実際の気温も冬に突入した時だった。旧東ベルリンの地区で、古い街並みも残っていた。街角のカフェやバーは、白黒映画に出てきそうな雰囲気だった。キャバレー文化というのだったか。この駅から鴎外記念館までは地図で見ると1キロちょっとくらいだから歩いても行ける距離だ。(一番の最寄り駅は他にある。)

私はヨーロッパで、よく偶然の出会いを体験した。その例にもれず、ベルリンでもそういう偶然があった。なんと、すぐ近く(バスで3停留所)に、日本でのご近所で幼馴染の・・・ちゃんのいとこさんがドイツ人と結婚して居を構えていたのだった。私がこれからベルリンに向かう、との報告を日本の家族にしたところ、家族を通じてそのことが判明、ある晩、稽古のあと遊びに行って、一緒にポテトチップスを食べたり、だんなさんのペットだという蛇さんにご対面したりした。彼女はもう1、2週間で赤ちゃんが生まれる、ということだったが、私が迷わないようアパートの前まで出迎えに出てきてくれていた。そんなときの一場面が不思議にいつまでも記憶に残っている。彼女は舞踏家で、公演でベルリンに来たとき、足を事故で怪我した。劇場関係者のお父さんがお医者さんだったので、その病院に運ばれた。そんなご縁で、その後、その劇場の方と結婚したとのこと。今もベルリン在住で、足は完治、踊りの世界でご活躍だ。人生って不思議・・・。

ところで、今日のプログラムには鴎外の留学先はライプチヒドレスデンミュンヘンと書かれていた。鴎外のベルリン滞在は、4年間のドイツ留学期間のうち、最後の1年3ヶ月だった。いずれにしても、鴎外さんが帰国した3日後にドイツ人女性が彼を追って来日した、と今日のプログラムで読んだ。これは、小説「舞姫」に描かれることになったベルリンの女性と思われる。鴎外さん、さぞ素敵だったんでしょう。