ワトーの絵「シテール島への船出」

イメージ 1

ワトーの有名な絵に、「シテール島への船出」というのがあります。この絵からドビュッシーは「喜びの島」の作曲のヒントを得た、という説も聞かれます。このワトーの絵はルーブル美術館にある1717年ものが有名です。

ところで、ベルリンのシャルロッテンブルク城には、同じワトーの「シテール島への乗船」という題の絵がありました。ポツダム市のお城にあったものが、1752年にベルリンのシャルロッテンブルク城に買い取られて、移ったそうです。

調べてみると、このベルリンの絵は、ルーブルにある1717年の絵をもとに、ワトーが友人のためにもう一度1718年に描いたものだとわかりました。

木、丘、船の位置など、全体の構図は基本的には共通していますが、よく見ると、違いも沢山みつかります。例えば、ルーブルの絵では舟がゴンドラのようですが、ベルリンのほうは帆を張る高いマストのある船になっています。

ルーブルにあるほうの絵は、もともと「シテール島の巡礼」、通称「雅びな宴(フェット・ギャラント)」ですが、あるとき、「シテール島への船出」に変わったという経緯があるそうです。絵の中にはキューピットもたくさん飛び交っていますので、これは愛の島「シテール島」への巡礼に出かけ、恋人と共に帰途につくために、シテール島をあとにするところではないか、と考える人もあって、論議をかもしています。

「雅びな宴(フェット・ギャラント)」の通称で知られるこのワトーの絵は、当時の精神文化を具現したものとして、芸術諸分野におけるこの時代の様式・思想を伝えるものとして、親しまれています。私も日本の音大でのフランス歌曲の授業で、ワトーのこの絵のことを拝聴したことがありました。

フランスのもの、と思っていたこの絵にベルリンで遭遇して驚きましたが、ワトーが友人のためにもう一度描いたのだと知って、そんな友情にも思いを馳せ、心あたたまる気持ちにもなりました。友人のために描いたこと、また、2回目であったことも手伝ってか、このベルリンのシャルロッテンブルク城所蔵版では、筆遣い、その他、人物などの描写にも、ユーモアのセンスが光っているように私には思われるのでした。

写真はシャルロッテンブルク城を正面から撮ったものです。横に翼のように建物が長く伸びているので、この写真には収まりきりませんでした。