SieとDuとdu

ドイツ語で二人称の呼び方には、
1.あらたまったSie
2. 親しい間柄でのdu (手紙文ではDu)
があります。

あるとき、ウィーン人の声楽仲間(同年代の女性)からメールが来たとき、私のことを大文字のDuで書いてありました。そのとき、初めてそんな書き方を知って調べたのですが、手紙文では、親しい間柄のduを大文字でDuと書く習慣が、ドイツ語には長らくあるのです。

大文字だからといって、duよりも距離を置いている、などという区別はありません。最近のメール時代となって、話し言葉をそのまま文字にしているような感覚で、小文字のduのままメールやメモを書くことももちろんありますが、大文字Duには、手紙文特有の多少、襟を正すようなあらたまった、そしてお洒落な感じが伴います。duで話していた同世代のソプラノ歌手が、ワイマールで一緒に参加したマスタークラスの時の写真を後日、日本まで送ってくれたとき、添えられていた短い手紙も、Duと綺麗な形の大文字で書いてありました。

作曲家マーラーが、後に妻になる恋人アルマに書いた手紙は、知り合った当初はもちろんSieで書いていましたが、プロポーズの手紙の12日前くらいに、Duで書くようになりました。(といってもこのカップルは知り合って2ヶ月くらいで結婚のお話になったのでしたから、急展開でした。)以後、生涯にわたって、彼からアルマへの、常に熱烈な愛に満ちた手紙は、この大文字のDuで書かれています。

今では、恋人や配偶者でなくても、気のおけない間柄なら、男女の間でも気兼ねなく手紙はDuで書きます。例えば、私の友人であるウィーン人歌手のご主人などは、私に何か連絡があるときのメールなどもDuで書いてくれました。(この夫妻は日本にもやってきました!)

先のマーラーの場合、初対面のころのアルマや、他に距離を置きたい状況になった女性への手紙にはSieを用いるなど、使い分けも見事になされていました。

ひと時代もふた時代も前の人ではありますが、作曲家マーラーは、Duで書いたアルマへの手紙に、二人で共に生きる人生を考えるのなら、アルマが勉強中の作曲をやめてほしい、と書きました。「自分の音楽を、君の音楽と考えてはもらえないだろうか」、「二人ともが作曲をしている夫婦、つまりライバル同士のぶつかりが将来に予測されるような夫婦なんて有り得るだろうか」と書き連ね、自分はアルマに同僚ではなく、妻であってほしい、と説いたのでした。

アルマはこの手紙に非常に衝撃を受け、母親にその手紙を見せ、一晩泣き明かしましたが、意を決して、それを受け入れる返事をし、二人は婚約することになります。

18も年上で、当時ウィーンの花形指揮者であったマーラーからこんな風に口説かれたら、20歳そこそこのアルマは、ひとたまりもなく、虫を食べてしまう植物にでものみこまれるように、マーラーという人物に包含されていったのでしょう。それがマーラーの愛し方でもあり、アルマはまたそれを理解し、受け入れたのでした。

ところで、ドイツで、演出家、指揮者、歌手などが集い、ひとつのものを創り上げていくときなど、みなduで話します。これは同僚のduといえるでしょう。特に、演出家や指揮者がご年配だったりしても、若い歌手たちも交えて、みな互いにduやファーストネームで呼び合います。これは意外な体験でした。それは目上の相手に失礼なのでは、と最初戸惑いましたが、実際、勇気を出してduを使って話してみると、対等に話すためには、自分にもアーチストとしての自覚と責任が問われるので、それはまた、芸術家として自身を律する助けになるようにも思ったものでした。

さて、人生の伴侶としてのDu、同僚としてのDu、友としてのDuなど、すべてが一緒になっているような関係も世の中には有り得るでしょうか。