ライプツィヒの包容力

イメージ 1写真は夕暮れ時のライプツィヒ、ゲヴァントハウスと、ライプツィヒ大学の高層ビル。ここには写っていないが、向かい側にはライプツィヒ歌劇場もある。
 
ライプツィヒ大学に私はまだ足を踏み入れたことがないが、高層ビルで大層モダンな大学である。ドイツよりはるかに高層ビルの多そうな日本でも、これほどの高層の校舎を持つ大学は、少なくとも私には思い当らない。
 
ところで、ライプツィヒ大学に私は少しばかりご縁がある。何かというと「心理学」である。音楽大学に進み声楽を専攻するより前、私は一万円札の先生が創始した大学で、心理学を学んだ。普通大学で学ぶにあたり、人間に一番近い学問は何だろう、と考えて、非常に単純に行き着いたのが心理学だった。このK大学の心理学は実験心理学を基礎に置くもので、鳩やネズミで研究する動物心理学の分野から、健康な人間の記憶や思考の仕組みを解明する認知心理学まで幅広かったが、そもそもその全体の基礎となっている実験心理学を創始したのはドイツの心理学者ヴントで、その場所はライプツィヒ大学だったのだ。医学を学び、生理学を教えていたヴントは1875年にライプツィヒ大学哲学教授となると、1879年には世界最初の心理学実験室を創設、心理学を従来の哲学などから区別して、独立した学問として打ち立てた。近代の学問の共通の原則である実証主義に基づき、人の心も実験(データ)を通して実証的に記述してこそ、初めて心理学は学問になりうる、というような立場であったと記憶している。今、眺めている懐かしい心理学小辞典のヴントの項目にはさらに、彼が、高等精神作用については、言語・芸術・神話・宗教・社会・法律・文化・歴史などの研究が必要であるとし、「民族心理学」全10巻を著した、と書いてある。そう、人の心を扱うとなると、果てしなくとりとめがない。そんな心を扱うにあたって、実証主義は学問とするための必要な手段ではあるが、やはり、実験、データでは図ることのできないところがどうしたって残る(と少なくとも思われる。)ヴントもそのことを感じていたわけだ。今後、人間の人知はどんな風に発展していくのだろうか。
 
私は心理学を離れて久しいし、人間の心に直接的に関わる芸術の分野に進んで、非常に対照的なところに立脚しているが、それでもときどき、心理学が懐かしくなることもある。そんな私のノスタルジーにさえ、ライプツィヒの風景は応えてくれる。
 
ライプツィヒは古来から大学を有した学問の街であり、また、誰もが知る作曲家バッハ以来の音楽の街である。