よき知らせを受けた土地

私が留学していたシュトゥットガルトはドイツの南西部、バーデン・ウュルッテンベルク州の州都です。1864年、借金に追われてウィーンから抜け出して逃亡の旅をしていたワーグナーは、その途上、たまたまシュトゥットガルト滞在時に、バイエルンルートヴィヒ2世の使いの訪問を受け、その直後、ミュンヘンへ向かい、王に初めての謁見しました。以来、彼の芸術活動はルートヴィヒ2世の理解と経済的バックグラウンドを得て、花開きます。
 
シュトゥットガルト時代に知り合った友人の1人、ドイツ人女性で、お父さんがミュンヘンに在住という人がいました。彼女は日本にも1年間仕事で来たことがありました。彼女の来日中にそのお父さんも旅行者として来日、東京で再会して一緒になめこおろしそばを食べていたときのこと。2年半のシュトゥットガルト留学中に一度もミュンヘンを訪れていなかったという私に、「芸術やるなら、何と言ったって、ミュンヘンに来なくっちゃ!バイエルン王国の都だもの、シュトゥットガルトとはわけが違うよ!」と思いっきり、バイエルンを宣伝、推奨されたのでありました。
 
その数年後、再訪したドイツで、私もついにミュンヘンの土を踏みました。ワイマールからスイスに出るために、長い南下の旅で、ちょうど乗り換え駅でもあり、中間点であるミュンヘンで降りて、一泊することにしたのです。留学中から数えると何年もかかりましたが、シュトゥットガルトからミュンヘンへと私の注意を喚起して導いてくれたのは、ワーグナーのときと同じように、バイエルンの方であったわけです。王様でもパトロンでもありませんが、道筋だけはワーグナーに似ている、といえるでしょうか。
 
その翌年にも、渡独の機会があり、そのときには飛行機はミュンヘンに着きましたので、最終目的地に入る前に一日だけ、ミュンヘンをまた散策できました。
 
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写真は1867年から1909年に建てられたというネオ・ゴシック様式の新市庁舎。塔のバルコニーにはピンク色の花が飾られ、定時には人形が出てくるからくり時計があるため、時間になると沢山の観光客や市民で賑わっていました。
 
これらのたった2度のミュンヘン滞在の思い出も、種々の場面でいっぱいです。元王立歌劇場、現在のバイエルン国立(事実上は州立)歌劇場では、ばったり大学の旧知の先生に出くわし、「あっ、来てたの?!」とお言葉いただいたり、ちょうどオペラ劇場が隣接する、かつての歴代の王の居城だったレジデンツの中庭を抜けた反対側裏手のほうにある教会でのミュンヘン夏の音楽祭に参加していた現代オペラ公演で、今やヨーロッパ中で活躍するようになった旧知の指揮者の活躍の姿をかいま見たり、はたまた市電に載って、アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテークという立派な美術館で涼みながら絵を見たり、これまた御殿のような州立図書館に足を踏み入れてみたり、そうそう、ビールの老舗ホーフブロイハウスと、そのすぐそばのアイスクリーム屋さんをはしごしたり、そんなこともありました。ミュンヘンは確かに、王国時代を彷彿とさせてくれる、文化の香りあふれる、楽しい街です。そう、日本でソーセージやハムで有名、デパートではこのブランドの食品も買えるケーファーは、「てんとう虫」という意味のドイツ語で、ミュンヘンに本店があります。お値段もちょっと高め。それらのおかずを眺めたあとに、私が入ったのは、そのすぐ側の路地のあたりにあった一軒のドイツ料理のお店。ドイツにいったら必ず食べるブタのローストを迷いなく注文、すっかり平らげました。豚肉にはビタミンBも豊富ですから、重いスーツケースを運んで身体も疲れている到着翌日などに食べられれば、疲労回復にも理想的です!
 
と、最後は食べ物の話で終わりそうになりましたが、ちなみに私はこのとき、ミュンヘンの楽譜店で、翌年の出演が決まっていたワーグナーワルキューレ」のヴォーカルスコアを購入して持ち帰りました。いまや日本でも自由に購入できる外国版楽譜でも、旅の途上にその土地で購入したものには不思議な香りが伴い、嬉しいものです。
 
しかもこのときは、その後、チロル地方でのマスタークラスに参加する目的で、そこでこれも歌ってごらんなさい、ということになり、ワルキューレの雄たけびを公開のクラスでご披露、すると、「昔、歌ったことあるわね」、と、クラスの講師の先生(なんとブリギッテ・ファスベンダーさん)が途中から一緒に別な役で一声二声加わって下さったりと、大いに盛り上がってしまいました。翌日には道で、聴講のお客さんたちから、手を振って「ホヨトホ~」と挨拶をされるに至りました。その後の私の東京での舞台には、そんな場面も底力になってくれたと感じます。ありがたいことでした。