ニーベルングの町ヴォルムス

行ってみたい町ヴォルムス。ここはワーグナーの「ニーベルングの指輪」のもとにもなっている叙事詩ニーベルングの歌」の舞台となっている街だ。いまやネット社会、インターネットで調べても、この町の写真などを簡単に見ることが出来る。歴史的建造物の多い、美しい町だ。私もまだ行ったことがない。ドイツ南西部ラインラント・プファルツ州のライン河沿いの町だ。
 
私はこの町の名を、ミュンヘンのビールの老舗ホーフブロイハウスで同席したご一家との会話で知った。先の記事に書いたように、昼間のホーフブロイハウスに1人で乗り込んだことがあった。アルコールは嫌いではないが、なくても済む、という程度でしかない私であるが、ミュンヘンに降り立ち、時間があるのに、かの有名なビアホールを見ないで帰るわけにもいかない、と思った私は思案の末、1人なので、物騒でなさそうな昼間、昼食を兼ねて出かけてみることにした。
 
このとき私は、その前日までワイマールでのマスタークラスに参加していた。最終日の修了演奏会で歌って、めでたく修了証書もいただいて、その翌日、参加者皆それぞれが方々に散っていく例にもれず、私は、前に記事にも書いた、ドイツ人の知人おばちゃまのヴァカンス先であるスイスを訪ねるべく、ワイマールから南への旅に出た。しかし、標高の高いスイスの山奥までは結構な長旅であったので、途中、ちょうど乗り換え駅でもあったミュンヘンで降りて、一泊、一休みすることにした。そういうわけで「ミュンヘンの休日」を翌朝まで1人、楽しむことになったというわけだ。
 
昼間のホーフブロイハウスは、確か、遅めの昼食で出かけたこともあって、そんなに混んでいない。店内の席はむしろガラガラだった。そこにこっそり座るのも逆に、物騒な感じだし寂しいので、中庭に目を向けてみた。ほどよく陽が射して、なにかとてもさわやかな雰囲気だった。人もチラホラと座っている。ちょうど良い賑わいだ、と思った私はその中庭に出ると、空いている大きなテーブルの一角に1人、腰を下ろした。
 
メニューが来て、前から噂に聞いていた白ソーセージは是非注文したいと思って決めていたが、肝心のビールはどうしたらよいのか。まわりを見ると、みんな凄い大きさのジョッキで飲んでいる。(確か、1リットルはいる大ジョッキだ。)少し小ぶりのグラスも目に入るが、それはメニューのどれになるのかわからない。とにもかくにも、ビールの老舗ホーフブロイハウスに来たのだから、「ホーフブロイハウスビール」を飲まなければ話は始まらない!と思い、この銘柄で小さいジョッキで、と注文してみる。すると、お店のお兄さんいわく、「ホーフブロイハウスビールには小さいの、ないよ!」とのこと。それじゃあ、仕方がないから、とにかくそれお願いします!ということで、1人座る私の前に、ほどなく大ジョッキがドカンと到着。白ソーセージもやって来た。それにドイツの塩味パンのブレッツェルが一つ。
 
片手では持ち上がらないような、大きなジョッキで1人照れくさくビールを飲んでみながら、ソーセージを特別のソースで味わい始めたころには、私はすっかりお皿の上に集中していた。そこへ、上から、お席ご一緒してもよいですか?、というドイツ語での問いかけが耳に入る。ふと顔をあげると、親しみやすそうなおじさんとその隣に奥さん、それから後ろには、私くらいの年恰好の子供さんと思しき二人と、もっと小さいお子様が1人続いている。ご家族ご一行様と見えた。ついでに周囲の中庭のテーブルを見れば、なるほど、これだけのご一行様がまとまって座れそうなお席はもうない様子だ。もちろん、どうぞ、とお声をかけ、この方々が私1人で座っていた大きなテーブルを一瞬にして満たしてくれた。
 
最初は何か遠慮があって、お互いに黙っていたが、そのうちにそのご家族のお父様が皮切りになって下さって、会話が始まった。どこからですか?日本です、ご旅行ですか?勉強と旅行と両方です、などと説明をする。あちらはご家族で旅行、これからオーストリア方面へ向かう途中、ミュンヘンに立ち寄ったとのことだった。だんだんにご家族の紹介が始まり、大きなお兄さんと一緒にいる美人のお姉さんはフィアンセとわかる。小さなお子様も文字通りお子様であった。そのうちにお父さんは名刺を下さった。何でも、ヴォルムスという町からいらしている、ということで、それを説明するためにも名刺を出して下さったのだ。というのも名刺には「ニーベルングの町ヴォルムス」と右上に書かれていて、このお父さんはその町(というか市)のとある地区の区長さんと肩書きが付いていた。それでしきりに、嬉しそうに、そのお父さんは、あのワーグナーの「ニーベルングの指輪」の「ニーベルング伝説の町だよ!知ってるでしょう!!」とお話し下さった。
 
そうこうするうちに、今度は、何やらいわゆる酔っ払いの域にまで達した、帽子にあごひげのおじさんがこちらのテーブルに近づいてくる。一番通路側に居た私の正面は椅子が一つだけ空いていて、ついにこの酔っ払い様は私の目の前に腰を下ろしてしまった。そこで、私のお隣にいたこのご一家のお父さんの偉いことには、よっぱらいを追い払うことなく、彼の言うことを、聞いてあげている。もつれたドイツ語で、しかも方言もあったかもしれず、私にはよく理解できないが、何やら日頃の生活の不満を訴えていたらしい。そのお父さんが話の聞き役をしているのを、ご家族もにこやかに見守っている、なんと素敵な家族だろう。そうこうするうちにこの酔っ払い様はご機嫌ヨロシク、ついに、お店のお兄さんが私に、もしカメラを持っているのなら、この帽子にあごひげの「おやじ」は、ミュンヘンバイエルンの典型的な格好だから、是非とも一緒に写真をとってあげよう、というので、私たちのテーブルみんなで私のカメラで記念撮影となった。そのときの一枚が今も私の手元にある。最初1人で踏み込んだホーフブロイハウスで、最後にこんなに楽しく盛り上がるとは、想像だにしなかった。幸せなことだった。
 
こうして、歓談するうちに、先に来ていた私はそろそろお店を出ようかと思い、ドイツ風にお会計を席で済ませ、荷物をまとめていると、お隣のお父さんが、「トイレはいいの?」あそこに表示があるからちょっと行ってみて御覧なさい、と言うのだ。そうか、トイレに言っておくのはよいアイディアだ、と思って、席を立って、それからもう一度席に戻ったが、考えてみるとあれは、大ジョッキを飲んでいた私が1人で店を出て果たしてちゃんと歩いて次の目的地へ無事行けるのかどうか、心配して試してくれたのではないか、と思い当たった。おかげさまで日頃からアルコールにあまり酔わないタイプの私は、ホーフブロイビールでも平常を保っていたようで、しゃきっとテーブルに挨拶に戻った私を、ご一家は笑顔で見送ってくれた。
 
外はまだ日が高く、晴れやかな散歩日和だった。
 
今になって、なぜこのことを思い出したのか、それは、今、ワーグナーの「ラインの黄金」の勉強をしているからだ。まさに「ニーベルングの指輪」4部作の第一作にあたるこの作品で、指輪は初めて登場するが、そもそものニーベルング伝説の舞台となった町ヴォルムスのご一家との出会いは、何かの因縁のように当然こうして思い起こされるのだった。ある夏の思い出だ。その後2年経たないうちに、私は東京でワーグナーワルキューレ」に、あのワルキューレの騎行を歌うワルキューレの1人ジークルーネ役として出演する機会にも恵まれた。このご家族との出会いも、私とワーグナーとの出会いの伏線のようにすら感じられる。人生にはあとから振り返るとそんなことが少なくない。上なるもののお導きに感謝あるのみだ。