ロッシーニ『セビリアの理髪師』に思う

イメージ 1私はロッシーニが好きだ。昔、芸大の入学試験で自由曲として歌ったのも『セビリアの理髪師』からロジーナの登場のアリア「今の歌声は」だった。
 
私は留学・旅のブログをこうして書いているわりには、飛行機でヨーロッパに飛んだ回数はほんの数えられるほどである。それでも不思議なことにロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』の公演を、今までに3回も旅先でタイミングよく鑑賞できる機会に恵まれた。ミラノ・スカラ座ボン市立歌劇場、そして、ベルリン州立歌劇場(これは昨年秋の劇場修復工事中のため、同じベルリン市内の引越し先劇場にて。)このオペラを観るために旅程を組んでいるわけではないのに、たまたまそこに滞在するときに、この演目が上演されているのである。それだけよく上演される人気オペラでもあるということでもある。
 
ロッシーニはペーザロに生まれ、パリに没した。グルメで自らメニューを考案したりしたことも有名である。留学中、ドイツのノイマルクトで開かれたロッシーニ・マスタークラスに参加したとき、そのメニューを再現した料理を出すレストランで、受講生である私たちがアリアを披露したことがあった。私にまわって来たのは、奇しくもこれまたロジーナの「今の歌声は」だった。まさかそのマスタークラスはそのレストランの催しで終わったのではない。名歌手がCD録音にも使った由緒ある音響のよいホールで、修了演奏会というかお披露目演奏会のような催しもきちんとあった。楽しい思い出だ。
 
ところで、ロッシーニ墓所は写真にあるように、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会内にある。歴史的な偉大な教会に眠るとは、大変栄誉なことだ。当初、パリに埋葬されたものが、後年、イタリアに、という本人の遺志に基づき、掘り起こされて、フィレンツェへ移送されて、現在の場所に埋葬されたそうである。ペーザロのロッシーニの生家の展示室には、そのときの模様が当時の古い写真で紹介されていた。驚いて質問した私に、係りのお姉さんが、掘り起こして運ぶときは、写真ではわからないが、匂いもして大変だったらしい、と生々しいお話を聞かせて下さった。火葬はドイツで怖がられたが、土葬だって、こうなると怖い・・・とにもかくにも、こうして、ロッシーニさんはフィレンツェに無事、凱旋して教会内に永眠した。王道を行った感がある。
 
こうして、思い出したのは、昨晩、東京の新国立劇場オペラパレスで『セビリアの理髪師』を観る機会に恵まれたからだ。同じ演目を観るたびに、かつて観たときの場所の空気感と共に、さまざまな記憶が蘇ってくる。ミラノのスカラ座では、開演時間が迫っていて、宿から珍しくタクシーで出発するも、途中、渋滞で、運転手さんに相談すると、そこの地下鉄の駅から地下鉄で行ったほうが到着が早かろう、ということになり、地下鉄に飛び乗った。ドゥオーモ前の駅で降り、地上にあがりドゥオーモ広場に出ると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーアを全速力で走りぬけ、スカラ座の階段を天井桟敷だったか、もう少し下だったか、いずれにしてもかなり上の方の階まで駆け上がり、無事、自分の席に着き、汗だくの中、序曲が始まった。休憩時間に素敵なフォワイエで飲んだ、重みのあるグラスに入った真っ赤なオレンジジュースも忘れられない。
 
初めてのミラノ、終演後の殆ど夜中の近い時間、1人で宿まで帰るにはタクシーしかない!劇場前に出るとタクシー乗り場は長打の列。そこへ、タクシーが列の先頭ではなく、わたしの目の前に留まった。運転手さんは「乗りな!」と手で合図しながら声を出している。他の列に並んでいるお客さんたちは、「こっちが先だ!」と運転手に向かって怒る。すると運転手は、「客を選ぶのはこっちだ!」と怒鳴ると、私にやっぱり乗るように合図している。そうこうするうちに次のタクシーが来たりして、道がつまってしまうから、並んでいた方々には悪いが、ついに私はすっとそのタクシーに乗ってしまった。背後にはヤンヤヤンヤと怒るイタリアの人々の姿・・・
 
思えば、オペラ帰りはまず大半が二人連れのところ、一人で長い列に並んでいたやまとなでしこの?!私を気の毒に思って、先に乗せてくれたのだろう。おかげですんなりと宿に帰ることができた。さすがは「マンマ・ミーア!」女性賛美の国イタリアだ、と思った出来事だった。ところで、あのとき、私はその日のポスターを終演直後だったかに劇場のボーイさんからいただいて、筒状に丸めて持っていた。今思えば、運転手さんは、そんなものを手にしていた私を劇場関係者かと思って厚遇してくれたのだろうか・・・永遠のなぞ・・・ミラノの思い出だ。
 
以来、私はミラノの地をまだ踏んでいない。ドイツに初めて行ったとき、最初の経由地として訪れた街、ミラノ。私には、旅の始まり、そして留学への足がかりとなった時期の「憧れ」と共に思い起こされる、懐かしい街である。