アンゲリカ・カウフマン自画像との再会

先日、六本木の国立新美術館で開催中の大エルミタージュ美術館展を観に行きました。副題が「世紀の顔・西欧絵画の400年」となっており、16世紀のルネサンスから20世紀までのヨーロッパ絵画の歴史を追うような、興味深い展覧会でした。何よりも、いつだったか絵葉書で見てファンになった、マティスの絵画「赤い部屋」が来日しているというので、これを一目生で見てみたいという思いで、出かけました。
 
ところで、マティスが展示されている最後の部屋第Ⅴ室に至る前に、一人の女性の肖像画の前で、私は立ちつくしました。この人には会ったことがある!というか、この絵は知っている!と思ったからです。それは何と、以前にこのブログでも紹介した、オーストリア室内楽とリートの音楽祭シューベルティアーデの開催地種シュヴァルツェンベルクにゆかりの女流画家アンゲリカ・カウフマンの自画像でした。
 
以前の記事と重複になりますが、彼女は、1741年にスイスのクール生まれで、その後、オーストリアのシュヴァルツェンベルクに暮らし、最後はローマに行ってそのまま、1807年にローマで生涯を終えられた方です。画家としてシュヴァルツェンベルクで名画を多く残し、この地にシューベルティアーデをヘルマン・プライさんが創設する以前に、すでに芸術の山村として、有名にしていた人、ともいえるかもしれません。
写真はそのシュヴァルツェンベルクの村の風景です。
 
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ちょうど私がシューベルティアーデを訪ねた2007年は、彼女の没後200年にあたる年であったこともあり、シュヴァルツェンベルクの村に新しくアンゲリカ・カウフマン美術館なるものができていて、彼女の作品展が開かれていましたし、ふもとの街ブレゲンツの州立美術館でもアンゲリカ・カウフマン展が開かれていて、両方とも私は鑑賞することができました。今回、エルミタージュ美術館の所蔵品とわかった、この自画像も、そのときに出展されていたのかもしれません、あるいは絵葉書ででも見たのでしょう、私の記憶に鮮明に焼きついている彼女の肖像でした。澄んだ茶色の瞳がひさしの長い帽子をかぶったキリリとした顔に輝いて、首をこちらに向けて見るもののほうを見ている、上半身のみの美しいプロフィール写真のような、とても印象的な絵です。
 
さすがは幅広い膨大なコレクションを誇るエルミタージュ美術館、彼女の自画像まで所蔵しているとは、驚きました。
 
日本ではあまり有名ではない女性画家ですし、ミュージアムショップにある絵葉書の中にも、この絵は残念ながら含まれていませんでしたが、壁の一角で思いがけずこの絵に出会えたことは、何か不思議な運命のように思えました。
 
こんな経験からふと、思い出されるのは、シュヴァルツェンベルクからシュトゥットガルトへの帰途につくため、電車の駅のあるブレゲンツまで、街のパストバスという、大きな観光バスで走っている公共交通機関を利用したときのことです。山村の停留所から一人のおばあさんがふくろを下げて乗ってきました。通路を挟んで私のお隣にお座りになって、「あなた、どこまで行くの?私はすぐそこまでお買い物に行くのですよ、バスは便利ですね。」と話しかけて下さった。私は今日はブレゲンツから電車でシュトゥットガルトまで行くのです、とお答えしました。そうしたら、「それは長い旅だわね、これをもっていきなさい。よい旅をね!」と、その手持ちの袋からりんごを一つとって、私に下さるではありませんか。おばあさんは、ちょっとお腹が空いたときのおやつにでも、りんごを袋にしのばせていたのでしょうけれど、こんな温かい心遣いに触れることができるのも、都会のバスではちょっと体験できない、山村ならではの風情でした。そんな地域で芸術の英気を養い、絵を描いていた女性の絵がロシア、エルミタージュ美術館の所蔵品となっていて、こうして東京までやって来たのです。感慨深いものですね。