鐘の音

2011年の3.11の日から2年を迎えた。
テレビで大槌町のお寺(江岸寺)の様子が紹介されていた。
 
お寺といっても、津波と火災で本堂も鐘もなくなってしまって、今はプレハブだ。
そこに奈良の薬師寺から、人々からの寄付によりこのお寺のために再現された鐘が贈られ、今日、2年ぶりで鐘が突かれた。
 
自らも父親をなくされたというご住職が、泣きながらアナウンサーのインタビューに答え、鐘の音は昔、何でもないときは、時を刻むもの、という実際的なものにしか聞こえていなかったが、今では鐘を突く人によって、余韻にいろいろな思いが込められていて、諸行無常ということばもあり、複雑な思いであることを語っておられた。
 
テレビを通してだが、その場所に鐘が響くのを聞いて、2年もの間、この周辺で亡くなられた方の魂は、鐘の音を聴くことができなかったのか、ととても気の毒に思われた。鐘の音は、現代の私たちは日頃、除夜の鐘くらいしか馴染みがないかもしれないが、あのゴ~ンという響き、それこそ余韻には、独特の味わいがあり、聞いていると心が落ち着くものだ。自然の中に響き渡って行く鐘が、心に響くといったらよいだろうか。今日、ようやく2年目にして、津波で命を落とされた多数の方々の魂がこの鐘の響きに、願わくば少しでも癒され、安らかに眠っていただけることを願うばかりだ。
 
薬師寺の方はよいことをされたと感動した。鐘を贈ろうなんて、誰もなかなか思いつかないし、素人では難しいことだ。でも、お寺には必需品だ。お寺を見学に行けば、かならずある「鐘」だけれど、今日、その認識を新たにさせられた。
 
鎮魂の祈りと共に・・・