お辞儀の習慣

ドイツに留学して、その後ドイツで活躍されたあと、そのまま現地の大学で教鞭を取っている日本人のT先生がいるはずだから、よろしくね、と指揮のW先生から留学前に伺っていた。その大学に留学した私は、さっそくW先生からのメッセージをお伝えするべくT先生のレッスン室を訪ねた。「はじめまして、・・・・です。」と名乗りながらお辞儀をした私に飛んできた言葉は次のようなものだった。

「・・・さん、ドイツではね、お辞儀はいらないのよ。こうでいいのよ!」
 
「こう」とはどうなのか、それすなわち、お辞儀はなし、胸を張って相手に面と向かい、目を見て、手を差し出し、握手をする、というわけだ。

それ以来、練習室の空くのを待つ間など、廊下を行き来する学生や先生たちの様子を眺めてみると、確かにそうだった。まだ年端も行かない若い学生が、Tシャツにジーパン姿だが、偉そうな先生や往年のプリマドンナの先生に向かって、それはそれは偉そうに(そう見える)胸を張って、手を差し出し、会釈を交わしている。

ただ日本人のほかに韓国人が唯一お辞儀の習慣のある民族のようで、同じ韓国人同志がすれ違うときなど、お辞儀をしている光景をよく見かけて親しみを感じたものだった。

さて、その日から私も、ドイツ流に努めることにした。これには最初、結構な勇気が要った。でも学校の廊下でも、レッスンの前後の挨拶でも、演奏会場のロビーでも、当地ではそれが普通なことだった。お辞儀をするのは、舞台の上の演奏家が客席に頭を下げるときくらいしか、まずない。

日本や韓国の目上の人を敬う文化は、私は誇りに思うが、ドイツ方式も慣れてくると、それはそれで魅力的に思えてきた。そのように挨拶を交わすことで、年齢、立場の上下に関わらず、とても大らかにコミュニケーションが取られる。その結果、若い者にも未熟なりにも、何か独立した人としての自覚、責任感が養われるような気もした。

このドイツの風習が昔からなのか、それとも戦争を反省して民主主義を徹底した戦後からのことなのか、確かめるのを忘れてしまった・・・。そのような配慮が、ドイツでの教育法を変えた、というお話は聞いたことがある。つまり、ビシバシ厳しいスパルタ教育は廃して、理路整然と説明しながら行う教育方法へ、かなり意図的に変えられたという経緯が、戦後のドイツにあったのは確かだ。

それでも最後にもう一つ、ドイツ語会話で習ったような先生への呼びかけ、「Herr/Frau Professor」も学内では用いられてなかった。学生は皆、先生に向かって「先生」の敬称をつけることなく「さん」呼ばわりで、「Herr/Frau・・・」と呼びかける。それも最初たいそう馴れ馴れしく見えたものだった。ご年配のドイツ人のおばさまは、その私の報告に少し驚いていたが、同じ教室で勉強を共にする者として、互いを尊重する感覚からそのようになったのだろう、と話していた。そう呼びかける学生たちに、尊敬の心がないのではない。ただ、非常に親しみがこもるように思う。

日本でもK中等部では、中学生が先生のことを「さん」で呼ぶ不思議な伝統があって、中等部から大学に上がってきた人は、教授のことを学生だけの会話の中では「・・・さん」と呼んでいたのをふと思い出すが、これも同じような感覚だったのだろうか。私にはとても違和感のあることだった。