プフィングステンの祝日

プフィングステンとは、キリスト教の祝日の一つで、日本語では聖霊降臨節と言う。

シュトゥットガルトの街の中心部に、昔、病院だったためにホスピタル教会、と名づけられている教会があった。この教会では近年、プフィングステンの祝日を迎える前の晩11時ごろから翌朝の6時まで、徹夜の礼拝がある。私はこの教会のオルガニストの一人としてオルガンを弾いている知人から、この礼拝で演奏することを申し付かった。

夜通しの催しを3人のオルガニストで担当を分担するとのこと、最初、私の知人のオルガニストさんは午前2時!!からの枠を任されたので、そこで歌ってくれないか、と依頼されたが、さすがに体が楽器の歌い手としては不可能に思われた。そこで夜中の12時までか、または早朝に、とお願いしたところ、その方は朝4時くらいからの担当に変わってくださった。私の入り時間は、午前5時ごろとなった。まだ市電は動いていないからタクシーで乗り付ける。

4時半にタクシーを呼び、街に向かいながら、結構、世の中、こんな時間でも明かりが付いていることに驚いた。

さて、教会についてみると、ちょうど朗読のところだった。この催しは礼拝といっても、音楽と朗読による長大な演奏会のようでもある。ちょうど朗読していたのは大学で顔見知りの舞台語科の学生だった。シュトゥットガルト音楽大学には舞台語科(Sprecherziehung)という専攻があって、詩や戯曲の朗読を専門に学ぶ学生がいる。音楽のほうも、オルガン演奏のほか、室内楽や歌など多彩であったようだ。それにしてもさすがに夜通しだから、列席者の中には頭を沈めて深い居眠りの姿もちらほらと。

その後休憩があって、別室で立食でサンドイッチや飲み物が振舞われた。その後再開。

私はここで、バッハの聖霊降臨節カンタータからアルトのアリアを演奏した。1740年代に作曲されたこのカンタータBWV34は「おお永遠の炎、愛の泉」と題されている。何だか宗教曲にしては随分と情熱的な題名だと思ったら、これは1726年に、若いふたりの結婚を祝う同名の結婚カンタータの改作であった。
アルトのアリアは「幸いなるかな、選ばれた魂よ」と、天から降り注いだ聖霊を浴びたことの幸せを歌う。いまだ未経験の早朝演奏で、声なんて出るのだろうか、と半信半疑だったが、A Durの晴れやかな音楽が始まると、そんなことは忘れて、元気に歌ってしまった。

これで礼拝も終盤、終わると、教会内の回廊の向こう側のサロンで、朝食会となった。コーヒー、種々のパンにバター、ジャム、何でも好きなものを取る。眠いはずなのに、明るい朝の陽射しと共に、何だかとても元気、ひとりひとりスピーチをしたりして、すっかり合宿のようだった。

これで終わりと思いきや、知人のオルガニストはそのまま、ヨハネ教会の朝の礼拝に向かうという。元気な私を見て、よかったらこのまま一緒に行って、もう一度この曲を歌わない?との誘いにほいほいと乗った私は、次の教会の朝の礼拝にも同伴して歌ってしまった。この教会は住んでいたご近所で、時に練習場所を提供してもらったりしていたので、感謝も込めて・・・。

それにしてもこんな夜通しの礼拝を聖霊降臨節の日にするのは、あのホスピタル教会くらいではないだろうか。確かに、聖霊の降り注ぐ日を迎えるのだから、その気持ちは分からないでもないけれど、演奏者には何とも過酷だ・・・。でもあの情熱的なアリアと共に、私の中にいつまでも忘れられないよき記憶として鮮明に残っている。

そう、第2弾の教会の朝の礼拝に行くことを決めたのは朝7時、それから即、いつもお世話になっているドイツ人のおばさまにその旨電話でお話ししたら、車で礼拝に駆けつけて私の歌を聴いてくれたのだった。留学中、私は幾度もこうした応援にも支えられてきた。

最後に、ドイツまで持っていった私の愛読書を一つご紹介したい。

「(民謡とバッハのカンタータで綴る)ドイツ音楽歳時記」樋口隆一著、1987年、講談社