#その他芸術、アート

ボンのベートーヴェン像前にて

シューマンも気に入っていて何度も散歩で訪れた、ボン、ミュンスター広場のベートーヴェン像。 1845年にベートーヴェン生誕75年を記念してこの像の設立が企画された当時、シューマンは自身が主宰していた雑誌「新音楽時報」に寄付を呼びかける記事を書いたほ…

ベートーヴェン第九のメッセージ

8月31日、真夏のベートーヴェン第九演奏会が終わった。そして翌日の日常的な仕事が一つ終わってひと段落し2日後には、風邪をひいた。ここのところ2年くらいは風邪をひいていなかったように思う。ついに「**は風邪をひかない」の域に達したかと思っていたけ…

音楽の都ヴェネツィア

昨日、ヴェネツィア楽派のバロック声楽曲の演奏会を聴かせていただく機会がありました。古楽アンサンブルと歌での演奏会、とても楽しみました。誰もが受験の課題曲で勉強したようなイタリア古典歌曲は、もともとは通奏低音がついていて、チェロとチェンバロ…

ワイマールの陽光

7月、ドイツのワイマールにあるリスト音楽院主催のマスタークラスに参加しました。私が参加したのはドイツリートのクラスで、講師はテノール歌手で2005年12月で歌手としての現役を引退されたペーター・シュライアーさんでした。 まずは初日に講師の先生の前…

ローマとシエナの街のシンボル

イタリアのシエナの街にはあちこちに、人間の二人の子供が狼のお乳を飲んでいる姿の像があります。これは、知る人ぞ知る伝説で、狼に育てられたというロムルスとレムスという双子の兄弟です。写真の右上、柱の上にもあります。これはシエナの街のドゥオーモ…

めざせウィーン世紀末

ベルクの1909-10年作曲の「4つの歌」op.2を昨日の演奏会で歌いました。 10日ほど前だったか、「すかっぱれ」のある日のこと。(スカッ晴れ:この言葉は野球の長嶋監督のお嬢さんがはじめてテレビに出た頃、ニュース番組で使った言葉です。放送用語にはあり得…

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (1714-1788)

先日、私はバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品の演奏を聴きました。 大バッハの次男で、晩年はハンブルクでテレマンの後任として教会総監督をつとめ、やはり「大バッハ」と慕われた彼は、その前に1740年からプロイセン王国のベルリン…

サン・スーシ庭園の回廊

ベルリン郊外のポツダムには有名なサン・スーシ宮殿があります。 10月の半ばから、バッハ公演の稽古のため思いがけず、未踏の地ベルリンに2週間滞在することができました。事務所の車に乗り合わせた4人は、何とドイツ人なのに皆ベルリンは初めてでした。ヴュ…

バッハのニコライ教会

ライプツィヒ時代のバッハは、毎日忙しくトーマス教会とこのニコライ教会を徒歩で歩き渡り、礼拝を掛け持ちして、オルガンを弾いたり、聖歌隊を指揮したり、とご多忙だったのです。 ニコライ教会は、現代では、東西ドイツ統一の引き金となった集会が開かれた…

ライプツィヒ、休日の午後に

バッハが活躍したライプツィヒのトーマス教会。メンデルスゾーンやシューマンをはじめ、この街の劇場で指揮者のアシスタントをしていたことのあるマーラーに至るまで、著名作曲家がこの教会の姿を眺めていたのかと思うと、感無量です。 教会前の噴水に遊ぶ子…

ライプツィヒのバッハにちなんで:マーラーの交響曲第2番「復活」とバッハ

マーラーは1886年から、なんとライプツィヒ市立歌劇場で首席指揮者ニキシュのアシスタント指揮者として2年間を過ごしています。この街で、マーラーは作曲家としても、ウェーバーの孫と知り合ったことを機に、ウェーバーのオペラ「3人のピント」を編曲し、188…

もちろんバッハさんです

ヨハン・セバスチャン・バッハさんでした。 ライプツィヒのトーマス教会脇の銅像です。撮影した1999年は、教会内のバッハのお墓のことで新発見があったとかで話題になっていました。 夏の日の涼やかな木陰にたたずむ、オルガンのパイプを背にした珍しい銅像…

これは誰でしょう

ある銅像を後ろから見た写真です。これはいったい誰でしょう? ヒント:この人が背中に背負っているのはオルガンのパイプです。